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巡洋艦那智 敵発見 [巡洋艦那智]

 1942年2月27日正午、第五戦隊が、
進路を南転させ、船団の後方を追求する
かたちで、南下を始めた頃、突如、
味方の哨戒機から「敵発見」の
報告が入りました。

 敵は、巡洋艦5隻、駆逐艦6隻という
ことで、全軍は色めきたちました。予想を
遥かに超える強敵と判断しました。

 しかも敵の位置は、船団から60海里、
第五戦隊からも120海里という、
かなりの近距離でした。

 この報告を受け、第五戦隊は直ちに速力を
上げて向かい、第二水雷戦隊には、急ぎ戦場に
来会せよという命令が発せられました。那智から、
索敵触接(敵部隊に取り付いて報告する)のため、
偵察機が飛ばされました。

 船団護衛の第四水雷戦隊も、この報告を
聞いて、船団を退避させ、旗艦那珂の艦載機を
発艦させ、全駆逐艦を集結させて、敵方に
向かいました。

 那智の艦載機から、敵の動きが次々に
報告されました。これをもとに行動を
推測すると、蛇行運動をしながら東に
向かっているようでした。参謀たちは、
「どうもおかしい?」と感じました。

 しかし、艦載機から、「敵はスラバヤに
入港しつつあり。」という報告を受け、敵が
スラバヤに入港するなら、北口を封鎖監視
して上陸を決行、北上すれば、夕刻になる
ので、夜戦で殲滅という方針を立てました。

 不測の敵出現に慌てたところに、スラバヤに
入港ということで、やれやれとなったことで、
参謀の判断には、甘さがありました。本来なら、
敵の不可解な行動を見極める必要がありました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 発令所長 [巡洋艦那智]

 萱嶋氏は、発令所長兼測的指揮官兼照射指揮官
という3役をこなしていました。

 昼戦の時は、主砲が巡洋艦の主役であり、
観測機を飛ばして、射程いっぱいに砲弾を
飛ばしているので、発令所は大忙しとなり、
発令所長として専念する必要がありました。

 しかし、夜戦となると、レーダーも照明弾も
なかった当時、大倍率双眼鏡と探照灯が
頼りでした。そのため、夜間射撃は、
探照灯の届く範囲が限界で、せいぜい
8kmくらいでした。

 那智からすれば近距離と言えるこの距離では、
発令所の仕事は簡単になるので、夜の重点は、
測的と照射になり、萱嶋氏は、発令所長を別の
人間に任せて、測的指揮官兼照射指揮官として、
任務していました。


 1942年2月27日午前7時、船団は
予定通り左へ変針し、上陸地点の
クラガンに向けて、一路南下を
開始していました。

 この当時の日本軍は、連戦連勝で、再三
軍艦マーチ入りで、ジャワ島沖航空戦の
戦果を信じていました。

 しかし、実際は誇大で、ドールマン少将の
艦隊はほぼ健在の上、まだ、敵主力の位置を
キャッチしていませんでした。

 しかも、ドールマン少将の艦隊は前夜からの
奔走で疲れ果てていたものの、スラバヤに
向けて東航していました。

 前日の陸上基地からの航空偵察によれば、
「スラバヤ港外に重巡洋艦2隻、その他数隻
在泊中。」ということで、日本海軍は、
スラバヤの敵は組みやすいと、見て
いました。

 そのため、この時も、船団の北西側を
警戒していました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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