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巡洋艦熊野 司令官移乗 [巡洋艦熊野]

 白石司令官は、旗艦を移すべく、
「筑摩を呼べ」と命じましたが、
筑摩がどこにいるかわからないほど、
戦場は混沌としていました。

 敵機の来襲と、我が各隊の速力差からか、
どうやら、ばらばらになって追撃している
ようでした。

 スコールもあり、どこにどの戦隊が
いるのかさえ、一向にわかりません
でした。

 やや離れたところに、鈴谷を発見し、
「近寄れ」と、信号が送られ、鈴谷は
速力を落として近づいてきました。

 先任参謀が、信号員に、「旗艦を
鈴谷に変更する。」という発光信号を
撃つように命じました。

 しかし、鈴谷から、「われ至近弾のため、
出しうる最大速力20ノット」という
返事が来ました。鈴谷も被害を受けて
いるようですが、見た目からは、
なんともありませんでした。

 かくして、敵中の洋上という極めて
困難な状況のもと、白石指令以下4名を
カッターで鈴谷に送ることになりました。

 カッターは、戦闘準備の際に、厳重に
甲板に繋がれており、短艇員を集合
させて作業にかかりましたが、
はかどりませんでした。

 このような中、敵艦載機が、ほとんど
漂白している熊野と鈴谷に攻撃を仕掛けて
きました。しかも、今回は、大半が爆弾を
搭載していました。

 対空戦闘の最中、ようやく短艇の準備が
でき、白石司令官は、艦長の人見大佐に、
今後の指示をした後、熊野乗員の敬礼に
答礼しながら、階段を降りていきました。

 水しぶきを上げて、カッターが水面に
下ろされました。波はないものの、うねりが
高く、一刻の猶予も禁物の状況でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 被雷 [巡洋艦熊野]

 敵意の攻撃をかわした熊野は、艦首を
向き直して追撃に移ろうとしました。

 その時、見張りから、「雷跡」という
叫びがあがりました。この声は、
艦橋にあるすべての者を愕然と
させました。

 見れば、右前方の至近距離に白い
雷跡が3本あり、避けようがありません
でした。

 次の瞬間、大音響とともに、船体は
グラッと激しく左右に揺れて、目の前に
巨大な水柱が湧き上がりました。
午前7時24分でした。

 熊野は、水柱に、35ノットでぶつかって
いきました。服も眼鏡も、コンパスも、灰色の
水でずぶ濡れになりました。滝をくぐり抜けて
前方を見ると、無残にも艦首がありません
でした。

 天蓋から、「両舷前進原速・・・両舷停止」
という、航海長の落ち着いた声がしました。
ゆっくりと、熊野の行き脚が落ちていきました。

 この時の雷撃で、熊野は、艦首13mを吹き
飛ばし、上甲板の鉄板だけが、残って垂れ
下がり、以後、波よけの役を果たすことに
なりました。

 魚雷は、反抗してきた駆逐艦が放った
ものに違いありませんでしたが、対空戦闘に
気を取られ、発見が遅れました。

 雷撃されることは、思い及ばず、前もって
雷跡をよく見張るように指示した者は、
誰もいませんでした。

 爆弾回避のために一回転したところに
命中したことから、敵の発射が巧妙だった
ということではなく、運悪く雷跡の方に
運動したということでした。

 熊野は、近くのスコールに惰性でゆっくりと
進んでいきました。白石司令官は、熊野が
戦列から落伍したと見るや、旗艦を
変更することに決めました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 対空戦闘と、水上戦闘 [巡洋艦熊野]

 敵空母部隊は煙幕を張り、避退しつつ、
急いで艦上機を発艦させていました。以後、
対空戦闘と、水上戦闘を同時にやることに
なりました。

 午前7時3分、突撃が下令され、最大船速の
35ノットに増速しました。第7艦隊は、敵の
進路を遮断するように、針路をとりました。

 ようやく18kmまで、接近した熊野は、
午前7時10分に、20cm主砲の火蓋を
切りました。

 この間、敵の艦載機は、執拗に攻撃を
加えてきました。見張りからの、「艦尾急降下」
という報告があり、12,7cm高角砲と、
56門の25mm機銃が応戦し、主砲は、
空母を狙いました。

 しかし、回避運動が、主砲の照準を困難に
していました。幸い、敵機は、緊急発艦した
ようで、爆弾を積んでいるものは少なく、
機銃弾による攻撃を注いできました。

 熊野の主砲が、数斉射浴びせ、ようやく
目標を捕捉しようとする頃、敵駆逐艦が
一隻飛び出してきました。

 煙幕を張りながら接近し、第七戦隊の
右舷を反航しようとしてきました。前部と
後部の砲塔から、連続して閃光が放たれ
ました。探照灯が点滅しているように
見えました。

 砲弾は、熊野と鈴谷の間に、多数の水柱を
上げました。着色団のようで、赤、青、黄色の
きれいな水柱でした。

 熊野は、主砲を右に旋回し、敵駆逐艦に
砲塔を向けました。砲撃をしようとした時、
上空からSB2Cが3機、来襲してきました。
熊野は、敵機が急降下に入るや、転舵
しました。

 霰が、トタン屋根を叩くような、機銃弾が
戦隊に当たる音が響いてきました。続いて、
ダイブから引き起こした敵機の爆音が
しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 水上艦隊と、空母部隊の水上戦闘 [巡洋艦熊野]

 艦影を見ることなく一夜が開けた
10月25日の朝は、ところどころに
スコールが見えました。

 熊野が所属する第七戦隊は、艦隊の
針路170度、速力22ノット、左前方を
進撃しており、熊野は、第七戦隊の先頭に
立っていました。

 午前6時40分頃、熊野は、哨戒中らしい
SB2Cを2機発見しました。2機が、
艦隊の砲撃を受けて姿を消した頃、
鳥海から「敵水部隊見ゆ。」という
報告がありました。

 同時に、熊野の見張りから、「空母一隻」と
いう報告がありました。左近允氏は、すぐに
大型眼鏡につき、目標を確認しました。
空母や巡洋艦を、距離30km以上の所に
確認しました。

 この報告を受け、旗艦の大和に信号が
上っていきました。熊野に乗艦している
第7艦隊の白石司令官は、「砲雷同時戦
用意、32ノットに増速。」などと、次々に
下命しました。色とりどりの旗が、熊野の
ヤードを上下しました。

 史上空前にして、絶後となるであろう、
水上艦隊と、空母部隊の水上戦闘の幕は
切って落とされました。

 敵の空母は最低3隻はいるようでした。
熊野は、艦隊の先頭に立って、これに肉薄し、
以下、鈴谷、筑摩、利根と続きました。

 突如、遠雷のような響きが聞こえました。
旗艦大和が、主砲射撃を開始したようでした。
時刻は、午前6時59分、距離32kmでした。
熊野の有効射程距離は、20kmでしたので、
まだ砲撃することはできませんでした。

 間合いをつめるべく、進撃していくと、
見張りから、「大和の弾着、空母に命中。」
という報告がありました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 レイテ沖海戦 [巡洋艦熊野]

 1944年10月22日午前8時、
栗田健男中将率いる遊撃部隊主力は、
ブルネイを出撃しました。
レイテ沖海戦です。

 翌日の23日に、愛宕と摩耶が、
潜水艦の攻撃を受けて撃沈し、
乗員は、駆逐艦朝霜と岸波に
救助されました。

 乗員は、大和と武蔵に移乗し、大和に、
将旗が揚がりました。この時、魚雷を
受けた高雄は中破し、朝霜の護衛の元、
ブルネイに回航していきました。

 24日の午前8時頃、敵機が来襲し、
午後3時30分頃まで、五波延べ250機の
攻撃を受けました。

 この時、熊野は、第三波の攻撃の際に、
爆弾が一発四番砲塔に命中したものの
不発で、測距儀を貫いて、舷外に落ちて
いきました。

 第五波でも爆撃を受けましたが被害はなく、
左隣にいた駆逐艦清霜に爆弾が命中し、
火柱が上がりました。

 この空襲の後、反転し、レイテ突入
中止と思われましたが、午後5時14分に
再び反転し、艦隊は、レイテを目指しました。

 艦隊が、サンベルナルジノ海峡を通り
抜けたのは、24日の真夜中で、計画から
5時間遅れの通過でした。ここからは、
水上艦隊と遭遇することもありえました。

 艦隊は灯火管制の元、漆黒の海を
進んでいきました。その頃、左近允氏は、
「武蔵沈没」という電報を受け取りました。

 アメリカ軍と戦っている武蔵の姿が目に
浮かびました。同時に、昼の疲れがどっと
出てきました。当直以外は、戦闘配置のまま
仮眠をとっていました。

 左近允氏は、暗がりの中、旗甲板の隅の
隙間を見つけ、ゴワゴワした旗に首を入れて、
一眠りしました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 諸元 [巡洋艦熊野]

 今回から、那智と同じ書籍に掲載されている、
“我らが軍艦「熊野」の最期
 連合艦隊最後の決戦場レイテ沖大海戦回想録”
から、巡洋艦熊野の活躍を紹介します。

 著者は、左近允尚敏(さこんじょう なおとし)氏です。

 最初に巡洋艦熊野の諸元をWikipediaから
抜粋してみます。

起工 1934年4月5日
進水 1936年10月15日
就役 1937年10月31日
最期 1944年11月25日戦没
  北緯15度44分58秒
  東経119度47分57秒
除籍 1945年1月20日

基準排水量 12,000トン
全長    200.6 m
最大幅   20.2 m
吃水    5.9 m
ボイラー  ロ号艦本式重油専焼水管缶8基
主機    艦本式ギヤード・タービン4基4軸
出力    153,698馬力(新造時公試成績)
最大速力  35.36ノット(新造時公試成績)
燃料    重油:2,280トン
航続距離  14ノット/8,000海里
乗員    竣工時定 874名  昭和19年10月 1,094名

兵装
 竣工時:
  三年式15.5cm(60口径)3連装砲5基
  八九式 12.7cm(40口径)連装高角砲4基
  九六式 25mm連装機銃4基
  九三式13mm連装機銃2基
  九〇式61cm3連装魚雷発射管4基(九三式魚雷24本)
 最終時:
  三年式 20.3cm(50口径)連装砲5基
  八九式 12.7cm(40口径)連装高角砲4基
  九六式 25mm3連装機銃8基
  同25mm連装機銃4基
  同25mm単装機銃18基
  九〇式61cm3連装魚雷発射管4基(九三式魚雷24本)

装甲   舷側:100mm 弾薬庫:140mm 甲板:35〜60mm
搭載機  水上機3機(呉式二号五型射出機2基)
レーダー 二号一型(対空用) 1基
     二号二型(対水上用) 2基
     一号三型(対空用) 1基

著者の、左近允氏は、熊野の航海士の任務についていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 殊勲甲 [巡洋艦那智]

 スラバヤ沖海戦、バタビア沖海戦の
両戦闘は、大勝利に終わったと言え
ます。

 しかし、これは、絶対的な兵力差と、
圧倒的な航空優勢のもとに戦われた
もので、当然の帰結とも言えます。

 萱嶋氏も、このことは率直に認めな
ければならないとしています。

 戦いは、錯誤の連続で、この海戦に
ついては、戦運が常に頭上に宿っており、
敵軍は、悲運の完敗をしたと言えます。

 しかし、おごるものは久しからずで、
自らの行動を謙虚に反省しないものは、
過ちを繰り返します。

 しかも、同じ過ちをした時に、幸運の
女神が微笑んでくれるとは限らないと
しています。

 この海戦も、貴重な体験や教訓が
含まれていましたが、これらが、後日、
冷厳な検討が受けたということを、
萱嶋氏は、聞いたことがないと
しています。

 実際、この後の戦闘に生かされたとは
言えないとしています。「殊勲甲」という
三字が、全ての過失を塗りつぶして
しまいました。

 「勝利は、慈善の如く多くの過失を
隠蔽する。」という、マハンの言葉で、
萱嶋氏は、著書を終えています。

(追記)
 スラバヤ沖海戦については、2000発もの
砲弾を使用していながら、命中弾が異常に
少なく、参加部隊からも批判の声が上って
いました。

 こうなった理由は一部の例外を除き、
遠距離攻撃に終始したためでした。
また、砲撃を一艦に集中するということを
せずに、行き当たりばったりに、目標を
定めて砲撃したことも、非難されるべき
ことといえます。

 バルチック艦隊を横切るように航行しながら
砲撃して、1艦に砲撃を集中させる戦闘をし、
敵艦隊を壊滅させた、東郷提督の海戦の
教訓も、生かされていないと言えます。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 追撃戦 [巡洋艦那智]

 逃げた駆逐艦の追撃に移った日本軍は、
那智が、艦内に引き揚げた3機の航空機の内、
使用に耐える1機に、30kg爆弾2発を、
取り付けて、射出しました。そして、逃げる
敵を、追いかけました。

 敵駆逐艦を発見した航空機は、爆弾を
投下しました。爆弾は、命中はしません
でしたが、艦尾に至近弾を得て、まもなく
敵艦は、行き脚を止めました。

 そこに、足柄と羽黒が追いつき、牛刀の
雨あられ(20cm砲の斉射)で、南海の
海底深くに沈んでいきました。

 戦いは完全に終わり、ジャワ海の
制海権は、ついに日本軍の手に
落ちました。

 この間も、ジャワ島の上陸したわが陸軍
部隊は、破竹の進撃を続けており、ジャワ
全島の制圧は、時間の問題となりました。

 砲声はやみ、硝煙の消え去った熱帯の海に、
再び、静かな夕暮れが、おとずれました。

 翌日、那智は、使い果たした燃料と砲弾を
補給するため、戦場を去り、船脚も軽く、
ケンダリー湾に向かいました。

 その間、萱嶋氏は、激しかった戦闘に思いを
巡らせ、しばし、感無量の境地に、ひたって
いました。

 同時に、多くの過失を重ねながら、稀有の
大勝を博したわが軍の戦運の強さを、今更の
ように神に感謝しました。

 この戦いは、終局のところ、最小の損害を
持って、最大の戦果をおさめて、大勝利に
終わったといえます。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 エクゼター撃沈 [巡洋艦那智]

 エクゼターは、昼間の砲撃戦で、被弾した
艦であり、速力も落ちている上に、後部の
砲はなかば中空を向いて動かず、さらに
カタパルト上の飛行機も、壊れている
ことが報告されました。

 こちらは、魚雷はなく、砲弾は残り僅か
でしたが、5体満足なので34ノットの
機動性を誇り、敵を寄せ付けず、退路を
断つことも容易と判断されました。

 そこで、緩慢な砲撃を繰り返し、近寄らずに、
足柄と妙高が来るのを待ちました。まもなく、
反対側に足柄と妙高が姿を現しました。

 はやる両艦から、斉射弾がツルベ打ちに
エクゼターの周囲に、叩き込まれました。
こうなると袋のネズミなので、第五戦隊は、
新来の友軍に任せて、ヤレヤレという
ところでした。

 エクゼターは、イギリス海軍の伝統に
そむかず、最後まで戦っていました。
しかし、孤軍奮闘虚しく、相次ぐ命中弾で、
航進を止め、右に大きく傾いて、甲板が
水につかる状態となりました。

 最後は、日本軍の駆逐艦の雷撃を受け、
とどめを刺され、海底の藻屑となりました。
随伴の敵駆逐艦は、1隻は、この場にとまって
戦闘をし、撃沈されました。

 駆逐艦に、20cm砲の斉射は、鶏頭を
割くのに、牛刀を用いるようなものであり、
あっけなく撃沈しました。残りの一隻は、
いち早く脱出し、スコールに紛れて、
水平線の彼方に逃れていきました。

 息をつく間もなく、逃げた駆逐艦を
追って、追撃戦に移りました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 のんびり敵発見 [巡洋艦那智]

 午前11時すぎ、艦橋見張りの声が
とびました。しかし、戦闘体験者の
平然たる報告ぶりで、緊急事態とは
思えませんでした。

 内容は、「マスト一本、右10度。」
というもので、敵とは考えていません
でした。というより、敵であるはずが
ないという心理が働いていました。

 そのうち、マストが徐々に水平線から
せり上がってきました。ここで、砲術参謀が、
「あれは、味方だ。バリ島から引き揚げて
きた輸送船と駆逐艦だろう。」と言いました。

 萱嶋氏は、あのマストから、味方だと
判断した根拠はどこにあるのだろうと
感じました。

 そこで、見張員に、よく確かめるように命じ、
萱嶋氏自身も大型眼鏡で、確認しました。
すると、哨戒をしていた水雷長が、のんびりと、
「マストの前に艦橋がある。」と言ってきました。

 これを聞いた副長が、「配置につけ」と
大声で号令をかけました。マストの前に艦橋が
あるのは軍艦であり、しかも、味方艦のはずも
ありませんでした。のんびり対応するような、
余裕はありませんでした。

 萱嶋氏は、タラップをおり、発令所に急ぎ
ました。戦闘服に着替える余裕はなく、
号令をさばきました。同時に、各砲塔
当たりの砲弾数を確認しました。

 各砲門につき、1桁しかないようでした。
これでは、「指令撃ち」をするしかありません
でした。

 出現した敵は、イギリス巡洋艦エクゼターと
駆逐艦2隻でした。一方で、味方の方は、
増援として、那智の同型艦の足柄と妙高が、
主隊にいるはずでした。直ちに、「敵見ゆ」の
緊急信号を発信しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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