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巡洋艦大淀 岡崎曹長 [巡洋艦大淀]

 水葬礼の海面をゆっくりと一巡した 傷心の艦隊は、英霊の冥福を祈りつつ、 再び静かに北上していきました。  この頃、小淵氏は、見張りの当直に 立ちました。しばらく見張っていると、 艦首方向を見張っていた見張員から 「前方に島が見えます」と報告して きました。  見張員は、一斉にその島を注視しました。 久しぶりに見る緑の島影でした。しばらく 眺めていると、「自分の見張り範囲を 忘れるな。こんなときが一番危ない。  艦隊が入港する直前に油断するのは、 敵は知っている。ぼんやりしていると、 艦の横腹を目掛けて、魚雷が突進して くるぞ。」と、怒鳴りつけられました。  この時怒鳴っていたのが、見張り指揮官の 岡崎曹長で、小淵氏が、大淀にはじめて 乗り込むときに、艇の指揮をしていた人でも ありました。昨日も、大淀は、敵潜の雷撃を、 見張りの発見で回避したということでした。  岡崎曹長は、見張りに特に厳しい人で、 夜間の見張り中に、背後からこっそり近づき 対物レンズを覆ってしまうことがありました。  居眠りしていると、これが分からないので、 時々手痛い目覚ましをもらうものがいました。  奄美大島が次第に近づいてきました。すると 二隻の駆逐艦が湾口の左右に進んでいって、 爆雷を投下し始めました。入口付近に数10発 投下され、その後、艦隊は湾内に静かに 進んでいきました。  湾内は鬱蒼とした亜熱帯林に取り囲まれ、 湖のような感じでした。岸辺には、人工的な 物は、一切見かけられませんでした。まるで 無人島のようでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 7人の勇士の柩 [巡洋艦大淀]

 伊勢、日向、大淀、五十鈴、若月、霜月、 槇、桑の8隻は、奄美大島を目指して北上 しました。激戦があった洋上は、何事も なかったように朝日がきらめいていました。  このゆるいうねりのみが残る決戦場を、 味方遊撃部隊の大いなる戦果を確信しつつ、 役目を果たし終えた小沢艦隊は、粛々と 去りました。  やがて第二戦闘配備が下命され、艦内では、 当直者を除き、全員が死んだように なって眠りました。  10月27日、もうすぐ奄美大島だという所で、 水葬礼が行われることになり、7名の棺が 後甲板に軍艦旗で覆われて飾られました。  艦自体はかすり傷ひとつない大淀でしたが、 これだけ多くの犠牲者があったということは、 いかに激烈な戦闘だったかを物語るもの でした。勇戦奮闘して散華した勇士の柩は、 午前10時20分に、一つずつ美しい海に 降ろされました。  送る人達は、一斉に挙手の礼をして葬送ラッパが、 尾を引いて鳴りました。物悲しい余韻を残し、消えて いきました。紺碧の海は、乗組員が馴じみ親しんで きたトラック周辺の海に似た色でした。それは、 戦さに疲れた者に安らぎを与える色でした。  澄み切った秋空からは、太陽が温かい光を 投げかけていました。風は止み、陽光にきらめく 海は、あくまでも穏やかでした。  「小なる犠牲はかえり見ず」とはいえ、共に 戦ってきた人達が、今、このように葬られることは、 心をかきむしられるように悲しいものでした。 戦闘は犠牲の積み重ねを必要としました。 兵士とはそのためのものでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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