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巡洋艦大淀 7人の勇士の柩 [巡洋艦大淀]

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 伊勢、日向、大淀、五十鈴、若月、霜月、 槇、桑の8隻は、奄美大島を目指して北上 しました。激戦があった洋上は、何事も なかったように朝日がきらめいていました。  このゆるいうねりのみが残る決戦場を、 味方遊撃部隊の大いなる戦果を確信しつつ、 役目を果たし終えた小沢艦隊は、粛々と 去りました。  やがて第二戦闘配備が下命され、艦内では、 当直者を除き、全員が死んだように なって眠りました。  10月27日、もうすぐ奄美大島だという所で、 水葬礼が行われることになり、7名の棺が 後甲板に軍艦旗で覆われて飾られました。  艦自体はかすり傷ひとつない大淀でしたが、 これだけ多くの犠牲者があったということは、 いかに激烈な戦闘だったかを物語るもの でした。勇戦奮闘して散華した勇士の柩は、 午前10時20分に、一つずつ美しい海に 降ろされました。  送る人達は、一斉に挙手の礼をして葬送ラッパが、 尾を引いて鳴りました。物悲しい余韻を残し、消えて いきました。紺碧の海は、乗組員が馴じみ親しんで きたトラック周辺の海に似た色でした。それは、 戦さに疲れた者に安らぎを与える色でした。  澄み切った秋空からは、太陽が温かい光を 投げかけていました。風は止み、陽光にきらめく 海は、あくまでも穏やかでした。  「小なる犠牲はかえり見ず」とはいえ、共に 戦ってきた人達が、今、このように葬られることは、 心をかきむしられるように悲しいものでした。 戦闘は犠牲の積み重ねを必要としました。 兵士とはそのためのものでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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