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巡洋艦大淀 奄美大島へ帰投 [巡洋艦大淀]

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 小沢長官は、「昼間の仇は討ってやる。」と、 なみなみならぬ決意の程を見せていました。 そして、他の駆逐艦や五十鈴には、沈没した 乗組員の救助が済み次第、本隊に続くように 命じました。  大淀、伊勢、日向は、敵水上艦との交戦は、 望むところと、勇躍して突進しました。敵は、 戦艦と巡洋艦など数10隻からなる艦隊と いうことでしたが、多いほうが張り合いが あると考えていました。  水上艦なら徹甲弾で良いと考えながら、 敵艦との交戦に、胸をときめかせていま したが、いくら進撃しても、敵艦隊発見の 報告はありませんでした。  伊勢や日向が鈍足なので追いつけない のだと、腹立たしくなってきました。数時間の 懸命の索敵でも敵艦隊は発見できず、東方の 空が、白み始めました。やむなく敵艦隊との 交戦を断念し、奄美大島へ帰投を命じました。  初月は、果敢に応戦し、敵中に突進して 魚雷攻撃を敢行しました。そのため陣形を 崩された敵艦隊は、五十鈴と若月を見失い、 孤軍奮闘する初月を攻撃しました。  敵艦隊は、初月を重巡洋艦と見誤るほどの 強靭さを発揮したということでした。敵数10隻と 猛闘した初月の乗組員は、雨と降り注ぐ敵弾に 全員玉と砕け散りました。  軽巡洋艦の多摩は、多くの被弾のため 各所を破壊され、5ノットという微速で 帰投中に、敵潜水艦の攻撃を受け、 本隊よりずっと離れた海域で沈みました。  昼に多摩の損傷を見ていた五十鈴は、 曳航のため近づきましたが、「救助不要。 貴艦のご健闘を祈る。」とだけ告げ、救援を 断ったということでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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