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巡洋艦大淀 日が暮れる [巡洋艦大淀]

 やがて太陽が沈み始めた頃、敵機も 次第に少なくなりました。  「日が暮れる」。この時ほど、日没が ありがたいことはありませんでした。 太陽は、地平線の雲を赤く染めて、 沈みつつありました。一日が終わり、 長かった日が暮れていきました。  小淵氏は、一息つくために、上甲板に 出ました。夕日の沈んだ洋上に向かって、 深呼吸しました。  ふと見ると、近くの物陰に、誰かが眠って いました。それは、高角砲の一番体力を使う 配置の人達でした。  やがて、戦闘配置に夕食が届けられました。 烹炊所の人達が、昼と同じように、握り飯を 運んでくれました。号令官が、「味噌汁も ほしいな」というと、それも届けられました。  発令所では、またにぎやかな夕食が 始まっていました。その時、艦内スピーカー から、「本隊は奄美大島に帰投する。」と 伝えてきました。  沈没した艦の乗員は、駆逐艦が救助に 向かうので、伊勢、日向、大淀は、低速で 北上するので、特に対潜警戒を厳重にせよ という通達がされました。  これを聞いて、発令所員は、沈没した 艦のことなど忘れていたことを思い出し、 シュンとなりました。戦闘中に、駆逐艦が 横付けして救助しているところは見ません でした。  沈没した艦の人達は、救助されるまで、 浮いていなければなりませんでした。洋上は、 不気味に静まりかえっていました。  そんな状態に置かれた時、救助されるという 望みを抱き続けることが、果たしてできるだろうか。 そのような時に考えられるのは、全部の艦が 次々に撃沈されてゆくことだけではないか としています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 第7波来襲 [巡洋艦大淀]

 艦首脳部は、電探の情報に疑問を持って いましたが、準備は怠りなく行っており、 その上での敵機来襲でした。  雲が広がる中での迎撃と砲撃なので、 正確に敵機を捕捉するのは困難になって いました。  第7波からは、敵機は間断なく来襲し、 上空には20機から30機が常時滞空して いました。日没までに、小沢艦隊を全て 葬り去ろうという、必死に連続襲撃を はじめたようでした。  これに対し、残存の伊勢、日向、大淀、 五十鈴、若月、初月、霜月、槇、桑の9隻は、 ガッチリと防空陣を固めました。洋上補給が できなかった杉と桐は、燃料不足のため、 戦場を離脱していました。  ほとんどの艦は損傷しており、単独の 防御には限界が来ていました。それに、 各艦とも、対空砲団が残り少なくなって いました。そこで、向かってくる敵機にのみ 発砲していました。  大淀では、「砲弾がなくなったら、 カビエンの時のように、徹甲弾でも演習弾 でもぶっ放す。砲弾があるうちは、撃って 撃って撃ちまくるんだ。」と強気なことを 言っていました。  ついに主砲対空弾が底をつき、高角砲弾と 機銃弾が残り少なくなっていました。大淀は、 あまり長く戦うことができなくなってきました。 大淀の快速も、航空機と比べれば亀の歩みで あり、限界がありました。  朝から400機以上の敵機を迎撃して いるので、いくら節約しても砲弾は足りなく なります。ついに徹甲弾をうち始めました。  今は、太陽が沈むのを待つしかない というのが、実情でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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