SSブログ

巡洋艦大淀 新たな出撃命令 [巡洋艦大淀]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 碇泊すると、内火艇や短艇が降ろされ、 各艦との連絡が行われました。駆逐艦に 収容されていた沈没した艦の生存者が、 大淀にも移動してきました。  皆、重油まみれの顔で、居住区の隅に うずくまっていました。まだ、死の彷徨から 脱しきれていないのか、能面のように 無表情で、誰も口をきこうとしてきません でした。うつろに開いている目に、 動きがありませんでした。  ところが、1時間ほどで、この人達は、 他の艦に移動となりました。どうした訳かと 思っていたら、大淀には出撃命令が 下りました。負傷者は、伊勢に移乗 しました。  出撃を命じられたのは、大淀と、同じく ほぼ無傷の若月でした。  日没近く、1隻の海防艦が、小型の油槽船を 護衛して入港しました。その油槽船から燃料を 補給した大淀と若月は、各感から機銃弾をかき 集めて搭載し、霜月からなけなしの高角砲弾を 全部譲り受けて搭載しました。  大淀の持つ10cm長砲身高角砲の砲弾を 持っているのは、現存艦隊では、霜月だけ でした。主砲用対空砲は、皆無の状態で、 出撃でしたが、大淀の乗員は、再度の出撃と 聞いて、意気は天を衝きました  それは、無傷で戦い抜いた誇りと、戦闘に 対する絶大な自信が、乗組員の士気を いやがうえでも高めていたからでした。 新たな戦いは、勇者の心を弾ませる ものでした。  夜遅くまで、出撃の準備が続けられ、 各艦から寄せ集めた機銃弾や高角砲弾、 消耗品などの積み込みを終わり、内火艇と 短艇を収容した頃には、夜半を過ぎて いました。  旗艦は、伊勢に移され、内地に帰投しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。