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空母信濃 呉に到着 [空母信濃]

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 遭難者を載せた浜風、磯風、雪風が、3隻の母港で
ある呉に到着したのは、午後5時すぎでした。3隻が
隣り合わせで碇泊すると、皆甲板に上がり、
生きている顔を見せ合い、懐かしがりました。

 しかし、冬の一日はあっという間に夜の帳が押し
寄せてきて、30分とたたないうちに、顔が見えなく
なるほど暗くなってきました。信濃の乗員は、
ここからも大変でした。

 信濃轟沈の事実が、漏洩しないよう、夜間に達磨船に
乗せられ、軍港から二時間ほどのところにある孤島の
三つ子島に、島流しになるという憂き目に合いました。

 この島は、漏洩を防ぐために、乗艦していた兵士を
入れる施設で、1ヶ月前に撃沈した信濃の姉妹艦である
戦艦武蔵の乗員も収容されていたことがありました。
壁には、「後から来るものに告ぐー武蔵生き残り乗組員」と
記されていました。

 信濃の艦長、砲術長、航海長は、信濃と運命をともにし、
副長兼機関長と内務長は、呉の病院に収容されていました。
他にも、海水を飲みすぎて内臓に故障を生じた兵士百数十名も
病院に収容されました。

 佐官で元気なのは、荒本通信長と主計長のみだったので、
荒本通信長が指揮をとることになりました。午前と午後の2回に
分けて、球技や格闘、体操などをして過ごしています。

(追記)
 三つ子島は、一棟の病室、気罐室、烹炊所、浴室、倉庫が
雑然と配置されており、島の最右翼には、五棟の平屋建ての
兵舎がありました。しかし、これらの施設以外ないところで、
娯楽の施設はありませんでした。

 配給された酒を飲むことと、上記のようなレクレーション以外
することがなかったといえます。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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