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駆逐艦神風 配属先へ [駆逐艦神風]

 雨ノ宮氏は、陸上基地に配属されると
思っていました。

 そして、過去に、艦艇を見た時、貨物船を
やや大きくした灰色の今にも水に浸かりそうな
低い乾舷の鉄の箱という貧しい印象だったので、
いささかがっかりしたとしています。

 一方で、神風という艦名には、素晴らしい
期待感を持てる感じがしました。そして、
この予感は的中したことになります。

 雨ノ宮氏は、神風に配属されたことで、
第二次世界大戦を全うして、生き延びる
ことになります。

 戦後40年たち回想すると、神風に配属
されたことは、良かったと寸毫の疑いもなく
言えるとしていますが、この当時は、喜んで
おらず、皆からも、「駆逐艦だそうだ」と
気の毒そうな顔で迎えられ、「がんばれよ」と
口々に言って言われたのを覚えていると
しています。

 1944年12月、ボタモチ二等兵曹になった
雨ノ宮氏は、上野から列車に乗り、神風がいる
本州北端の大湊に向かいました。月初め
でしたが、すでに積雪は、かなりの量でした。

 防備隊を訪ねると、神風は、現在北方警備の
任務で、北海道の小樽に○日に入港するので、
小樽に行けと言われました。防備隊に一泊し、
翌朝小樽に向かいました。

 青森の連絡船乗り場に着くと、ソ連の
潜水艦が、出没するので欠航ということ
でした。ソ連の潜水艦が理由では、いつ
出港するかわからないということになり、
桟橋には、長蛇の列ができていました。

 今朝早くから待っているという疲れ切った
声が聞こえていました。最初、雨ノ宮氏を
見た周りの人たちは、海軍下士官だと
知って、遠慮していましたが、雨ノ宮氏が、
海軍体操をはじめると、周りで真似をする
人が出てきて、打ち解けてきました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 「カミカゼとは?」 [駆逐艦神風]

 雨ノ宮氏は、見事に帝国海軍下士官に
なりました。

 雨ノ宮氏のように、急増で下士官に
なったものを、“ボタモチ”と呼びます。
あだ名の由来は、袖章についている
徽章が大きな丸型であることです。

 この記章は、各兵科毎に異なっており、
この中に階級が示されています。これで
あれば、全ての海軍が持っていることに
なりますが、勤続3年になると、袖章の
上に山ガタが一本つきます。

 しかし、勤務年数が少ない雨ノ宮氏の
場合、この山ガタはありません。

海軍で麦飯を食った経験が少ない
ということを表すことになるので、古参の
兵からすると、新人上司として見られる
ことになります。

 もっとも、雨ノ宮氏は、このことは
最初から承知しており、お互いを○兵曹と
呼び合おうと決め込みました。

 その後、新規配属先が発表されました。
大抵は陸上基地でしたが、○島などという
ものがあると、前線だということで、拍手が
起きました。そして、雨ノ宮氏の番になり、
駆逐艦神風と言われました。

 発表している分隊長から、「成績が
良かったので、艦艇に乗れる。山の中で
ゴロゴロしているのと違い、船はいい。
我々は本来海軍なんだから。羨ましい
くらいだ。」と言われました。

 駆逐艦は、ある時は厳しいものの、
家庭的であたたかく、3日やったら
やめられないとも言われました。
分隊長が駆逐艦乗りだったので、
本音の話と言えそうです。

 しかしながら、雨ノ宮氏は、海軍の
経験が少なく、駆逐艦がどんな船
なのかもよく知らない状態でした。

 なので、「カミカゼとは?」という
思いだったようです。うらやましがる
分隊長と、全く訳がわからない雨ノ宮氏
という、ちぐはぐなやり取りになりました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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