SSブログ

駆逐艦神風 平野上等兵曹との再再会 [駆逐艦神風]

 7人もの部下を持つと初めて聞かされた
雨ノ宮氏でしたが、知り合いの平野
上等水兵がいたことで、気が
晴れました。

 他の兵士とも手をとり合って、この
人達と生死をともにするのかという、
なんともいえぬ感懐のごときものが、
湧き上がってきました。

 戦後40年経って、雨ノ宮氏は当時の
ことを思い返すと、西も東もわからぬまま、
気負ってばかりいた急増ボタモチ下士官を
長に、彼らはさぞ肩身の狭い思いをした
だろうと、今頃になって思いをやっている
としています。

 当時は、部下の思いを受け止めることも
できないほど、至らなかったとしています。
しかし、平野上等水兵と再再会したことが、
勢いづけてくれました。


 神風は、雨ノ宮氏が小樽についた日の
夜半に入港しました。迎えの内火艇で、
艦に上がり、当直の士官に報告を
しました。

 棒立ちになった雨ノ宮氏の足の下で、
艦は前後に傾いて重心を危うくさせ、
ふらつきましたが、咎められることは
ありませんでした。

 陸上での訓練で、「気をつけ」の姿勢を
取る時は、動いたら殴られることに
なりますが、海軍の艦上では、艦の
状況に合わせて、重心を保っても、
差し支えないことを、この時
初めて知りました。

 真冬の北方の海は、不凍港の中においても、
かなり荒々しく猛っていることも知りました。

(追記)
 雨ノ宮氏は、他の人が書いた海戦物語
(大半は、受け入れる士官クラスの人が
書いたもの)をよく読んでいます。

 その中に、中年や老年の補充兵が
配置され、受入側が、期待はずれの
感を抱き、ぎこちない心情と、柔軟を
失った体つきが記述されていることが
あるとしており、これは事実だとして
います。

 一方で、雨ノ宮氏の方からすると、
末期の様相をみせる戦争の片棒担ぎに
駆り出された人間であるという事実は
忘れてほしくないとしています。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 小樽到着 [駆逐艦神風]

 夜半になり、急に出港が告げられました。
雨ノ宮氏は、桟橋を渡り、乗船しました。
ここで、三等船室の臨時隣組長に
指名されました。

 これは、救命具の付け方指導や、避難順序の
徹底をする役目でした。海軍の下士官なら当然
出来ると思われたのでしょうが、雨ノ宮氏は、
「船酔いしたらどうしようか」という、
海軍下士官としては、情けない心配を
しなければなりませんでした。

 しかも、これは杞憂というわけではなく、
雨ノ宮氏は船に乗船した経験がほぼないので、
可能性が高いと言えました。実際、胃の
あたりに違和感がありました。

 しかし、海峡の真ん中あたりで、訓練非常
警報が鳴り、雨ノ宮氏は、命令を発して、
乗客全員に救命具をつけさせ、上甲板に
上げる演習を行いました。

 雨ノ宮氏は、いちいち手助けしなければ
ならず、このおかげで船酔いは忘れられ
ました。


 客室は、超満員で、万一に備えて荷物類を
整頓すると、殆どがりんごが入ったリック
でした。

 演習が終わると、雨ノ宮氏は、りんごを
いただくことができました。そして、
連絡船は、無事に函館に到着
しました。

 列車を乗り継ぎ、小樽についたのは、
昼過ぎでした。雨ノ宮氏は、すぐに
武官府に行きました。

 そこには7人の兵隊が集まっていました。
その中に、平野一等水兵がいました。
平野一等水兵は、上等水兵に昇進して
いました。

 雨ノ宮氏は、平野上等水兵を見て
驚きましたが、平野上等水兵は
もっと驚いていました。

 そして、平野上等水兵の話では、
ここにいる7人は全て、雨ノ宮氏の
部下として、神風に乗り込む事に
なっているということでした。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。