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駆逐艦磯風 無謀なる命令 [駆逐艦磯風]

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 1945年4月7日午後2時、大和の速力は7ノット
ほどとなり、回避は絶望的となりました。砲は、頭を
垂れたように沈黙しており、かつての勇姿は、見る影
もなくなっていました。

 散発的に、機銃が火を吹いていましたが、かえって
無念さをさらけ出していました。

 先頭は走る矢矧も、息付く暇もない攻撃にさらされ、
浮力を失いつつありました。この時、矢矧から、磯風に
対して、とんでもない命令が下されました。矢矧に
近づけということでした。

 上空には敵機が乱舞しており、戦闘の最中でしたので、
これはかなり危険な命令でした。しかし、第二水雷戦隊
司令からの命令ということで、ただちに行動に移りました。

 回避できる範囲まで接近すると、矢矧から、横付けせよの
命令が来ました。第二水雷隊司令が移乗するということでした。

 この命令には、前田艦長と、同乗していた駆逐艦司令は、
「この激戦の中で、横付けせよとはなにごとか。磯風に
乗りたければ、内火艇か泳いで来い」と怒りをあらわに
しました。

 磯風は、上官命令ということで、横づけを試みましたが、
敵機の攻撃と、矢矧がいつ爆発するかも分からないという
ことで、断念しました。

(追記)
 井上氏は、今回の特攻作戦は、「救助艦は来ない。1艦に
なっても突入せよ。」という命令を受けており、いまさら、
第二水雷戦隊司令が移動したところで何になるのかとして
います。

 スリガオ海峡で、西村艦隊を指揮した西村司令が、戦艦山城
から、「われをかえりみず突撃せよ。」と命じて、最期をとげた
事と比較しても、井上氏の主張は妥当といえます。

 このような、個別の戦闘の時、司令官はあまり役には立たず、
艦長の方が、奮戦しているケースが多いように感じます。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵


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