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駆逐艦磯風 佐世保に到着 [駆逐艦磯風]

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 1945年4月8日午前10時に、内地の山が霞の中に、
浮かんできました。佐世保に無事入港したものの、井上氏
には喜びはありませんでした。しかも、この日は佐世保
方面に朝から空襲がありました。

 佐世保に着いた井上氏らは、港内にある孤島の
黄瀬の隔離病院に幽閉されることになりました。
この時、艦長はもとより士官に至るまで、今後の
方針を示すでもなく、労をねぎらうでもなく、全く
姿を見せませんでした。

 井上氏は、官僚的な体質を如実にしていると非難して
いますが、これはまだいい方でした。同じく雪風に救助
された大和の副長が、「大きな戦闘をして、ほっとした
顔をしているが、あれくらいの働きがなんだ。本当の
闘いはこれからだ。」という訓示をしていました。

 井上氏は、これが勝算のない戦いに駆り出しておき、
血みどろで帰還してきた兵士に対して言う言葉かとして
います。

 このような無意味な訓示を垂れるくらいなら、サッサと
いなくなった磯風士官の方がましだとしています。

 夕方になって、酒が配られ、ここで、助かったという
偽りなしの喜びと、希望の灯火が消えたという思いが
渾然となり、部屋の中から慟哭が起きました。

(追記)
 大和副長の訓示は、初戦負け犬の遠吠えであり、
打ちひしがれた兵士に対してハッパをかけたところで
どうしようもありませんでした。「よくやった。ご苦労で
あった。」の言葉くらいなかったのかといえます。

 井上氏は、この特攻で死に直面し、向かい合い、
恐怖と戦慄の中に置かれたからこそ、生命の尊さが
分かり、戦争の虚しさを心に抱くとしています。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵


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