SSブログ

戦艦武蔵 キングストン弁の思い出後編 [戦艦武蔵]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 逃げ出した兵士が、キングストン弁にしがみついて
泣き出したため、キングストン弁が開かないか心配に
なりましたが、弁は、金属の板で固定されており、
素手で開くようなことはありませんでした。

 逃げた兵士を連れて、マンホールに戻ることに
しましたが、道を間違え、くぐらなければならない
狭い空間にたどり着きました。他の2人は、難なく
くぐり抜けられましたが、豊田氏は胴体が引っかかり、
抜けられなくなりました。

 二人がかりで引っ張ってくれたものの、一向に
抜けませんでした。豊田氏、半分諦め、ひょっと
すると、永遠にキングストン弁と同居すハメになる
のではないかと考えました。

 そんなことを考えたら、キングストン弁の錆色と
ビジルの色が、親しいものに思われました。

 豊田氏は、下士官らの提案で、足からくぐることに
しました。その際、ビジルに上体を浸すことになり、
水と油の腐った臭いが、鼻を突き抜けました。
二人に全力で足を引っ張ってもらい、抜ける
ことができました。

 豊田氏は、来るときに引っ掛けたパイプで、みみず
腫れを作っており、このみみず腫れにビジルを沁みこ
ませてしまったため、体がねずみ色に染まり、しばらく
落ちなかったとしています。

 逃げ出した兵士は、風呂で体を洗った後、海兵団に
送り返されました。この後、この兵士がどうなったのかは
豊田氏は聞いていないとしています。

 暗い艦底にポツンと存在するキングストン弁の不気味な
光沢と見開かれた兵士の眼球が記憶に残っているとして
います。

(追記)
 戦艦のような大型艦は、訓練が厳しいということで有名
でしたが、上記の兵士については、教育指導という名目の
暴行をしたのではないかという疑いがあります。

 今の自衛隊でも、報道されますので、この当時は
もっとやっていたと思われます。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。