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巡洋艦最上 水葬の礼 [巡洋艦最上]

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 6月8日午後3時、「海行かば」の軍歌の
ように、水葬の礼で送ることになりました。

 後甲板に運び出された遺体を囲むように、
配置にいるもの以外は、総員が整列して、
開始を静かに待っていました。

 形ばかりにしつらえた祭壇には、当時、
艦内に貯蔵してあったじゃがいもや、
玉ねぎ、缶詰類、堅パンまで、
供えてありました。

 香の代わりに、蚊取線香が代用してあるのも、
痛々しさを感じました。導師は、乗員の中の、
お経に心得のある何人かが、代わりを
努めていました。

 曾禰氏は、後甲板の一段高いところにたたずみ、
読経の済むのを待って、あたかも生きている
乗員に呼びかけるように、
「諸君の示した武勲の働きは、軍艦最上の
伝統として他の乗員の範となるものである」
と、武勲をたたえました。

 さらに、「遺骨を故郷に届けたいが、
いつ会敵するか分からない今日、水葬の礼を
もって送るほかはないことを許してくれ。」
と切ない胸の中を、訴えました。

 言葉としては、短いものでしたが、曾禰氏の
頬には、いつの間にか涙が伝って流れて
いました。そして、曾禰氏は、副長に、
水葬の執行を命じました。

 一列に並んだ、銃隊と、ラッパ隊も沈痛の
面持ちで、その瞬間を待っていました。

 やがて、庶務主任の読み上げる戦死者の
官氏名が終わると、関係分隊員の手で、
最後部に備え付けた滑板まで運ばれ、
弔銃と、「命を捨てて」のラッパに
送られて、一体、一体、滑るように
航跡流の中に落下していきました。

 しばらくは、航跡流の白い渦の上に
浮かんで、最上に追いすがるように
見えていましたが、ついに、海中に
沈んでいきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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