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赤城・加賀 ミッドウェー海戦 [航空母艦「赤城」「加賀」]

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 赤城と加賀の最後の出撃となるミッドウェー 海戦は、1942年6月となります。この 海戦の発端は、4月6日の日本本土攻撃 でした。  この攻撃により、本土防衛に対する抜本的な 見直しが、迫られることになりました。その柱は、 本土東方の太平洋上に新たな防衛ラインを 設けることでした。  防衛ラインは、アリューシャン列島から、 太平洋中部のミッドウェー島にかけてで、 日本本土に接近するアメリカ軍勢力に 対する哨戒線を、構築することでした。  可及速やかに、この作戦は実行に 移されることになり、アリューシャン 列島の東端の要衝のダッチハーバーの 攻撃と、ミッドウェー島の占領から 作戦を実施することになりました。  この内、ミッドウェー島の占領作戦から 実施することになりました。この後の展開は、 何度か紹介している通りです。  概要は、ミッドウェー島への第一次攻撃で 戦果不十分だったため、敵機動部隊用に 待機中だった攻撃に兵装転換しています。  しかも、この後、機動部隊発見で、再度、 兵装転換するという愚策と、帰還した第一次 攻撃隊の収容が重なり、このスキを突いて、 敵の急降下爆撃隊が、赤城と加賀、蒼龍に 襲いかかっています。  赤城は、艦橋左舷に至近弾1発、中央 エレベータ付近に直撃弾1発、飛行甲板 左舷に1発命中しました。  この時、赤城の格納庫には、雷装作業中の 攻撃機18機、爆装中の爆撃機18機、弾薬、 燃料補給中の零戦3機が収容されていました。  そのため、格納庫の中は、交換作業中の 爆弾が床に転がり、燃料補給用のホースが 交錯していました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二


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