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駆逐艦萩風 魚雷艇の調査 [駆逐艦萩風]

 魚雷艇との距離が3kmになった時に
砲撃すると、うつぶせした魚雷艇艇員の
背の上を砲弾が飛んで行き、20m先に
着水しました。

 他の砲弾も、魚雷艇の付近に着水
しました。魚雷艇は水柱で、覆いかぶされ
ましたが、全力で走っていました。

 その時、ひとりの艇員が、起き上がり、
そのまま海面に飛び込んで行きました。
これにつられ、残りの艇員も、海面に
飛び込んで行きました。

 無人になった魚雷艇は、左に旋回しながら
走り続けました。主砲による砲撃は中止し、
機銃で魚雷艇を撃つ事にしました。

 機銃の射程からすると遠いので、さらに
近づき、機銃をぶち込むことで、ようやく
魚雷艇を止める事が出来ました。

 萩風は、魚雷艇に横付けし、魚雷艇を
調べる事にしました。魚雷艇には、傷のない
超短波の携帯用無線電信機があり、萩風に
持ち込みました。

 魚雷艇は、爆雷が積んであったものの、
魚雷発射管の中に魚雷はありませんでした。
艦尾のエンジンには、バックがあり、中に
操作説明書が入っていました。

 調査が終わると、魚雷艇の始末をする
必要がありました。しかし、銃撃で水面下に
穴を開けるのは困難と判断し、ポンプで
注水する事にしました。

 萩風から消火ポンプを、魚雷艇の機関室まで
伸ばし、海水を注ぎこみました。魚雷艇は、
3分ほどで、気泡を沸き立たせながら
沈んでいきました。

(追記)
 上記の説明書の中に、若い女性の写真が
挟み込まれており、それを発見した萩風乗員は、
オーと歓声を上げ、甲板にいた他の乗員に
見せていました。

 これを見た倉橋氏は、これはまずいと思った
のか、急いで、元のバックに戻していました。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 魚雷艇に砲撃 [駆逐艦萩風]

 司令駆逐艦嵐は、一木支隊揚陸地点に連絡を
取るために、引き返していきました。1隻だけで
残された萩風は、サボ島沖を走っていました。

 その時、東の方向に、敵水雷艇が十数隻いるのを
発見しました。萩風は、直ちに追撃に移りました。
目標までの距離は7.5kmでした。さすがにこの
距離で、小型の水雷艇に命中させるのは難しいので、
距離がつまるのを待ちました。

 5kmまでつまったところで、倉橋氏は砲撃
しようと決心し、双眼鏡で確認し、射撃緒元を、
暗算しました。

 しかし、一番砲塔の俯角が制限いっぱいの
ため、目標に対して照準できませんでした。
そのため、追撃には遠回りになるものの、右に
大きく旋回し、目標を左に大きくかわしてもらう事に
しました。

 左50度、距離4kmとなり、ようやく射撃が
できるようになりました。すかさず、「撃ち方
はじめ」を命じました。弾丸は無駄にしたく
なかったので、一番砲塔2門だけに限定し、
一斉射ごとに、管制して撃つ事にしました。

(追記)
 高い位置にある萩風の指揮所から、双眼鏡を
のぞいていた倉橋氏は、敵魚雷艇の艇員が
隠れるようにエンジンの横にうつぶせに
なっている様子が、手に取るように見えた
としています。

 射撃中も、敵の艇員の背中が見えており、
射撃を躊躇したくなったようですが、心を鬼にして
射撃を続けました。しかし、着弾の瞬間を凝視
することはできず、着弾の時は、目を閉じていた
としています。

 幸か不幸か、魚雷艇に砲弾が命中する事は
ありませんでした。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 目標分からぬ砲術長 [駆逐艦萩風]

 倉橋氏が、射撃指揮所に入るころ、萩風の
前方にいた艦(旗艦の嵐だと思われます)が、
射撃を開始しました。

 暗夜のツラギ沖に砲声がとどろき、閃光が
目に入りました。噴き出た砲煙が、萩風の
艦上を通過していきました。

 先頭艦に続き、後方にいた駆逐艦からも
砲撃が開始されました。萩風のみ、砲撃
しませんでした。それどころか、砲塔すら
敵の方に向いていませんでした。

 指揮所に入った倉橋氏ですが、高速
航行中で、ひどく振動しており、起きぬけの
倉橋氏は、順応できませんでした。

 艦橋に、「目標はどの辺りか」と問いかけ
ましたが、方向がさっぱりわかりませんでした。

 双眼鏡で敵艦を探す事にしました。僚艦は
砲撃しているので、それを頼りに、敵を探し
ましたが、明かりを使わずに砲撃しているため、
どこを目標にしているのか分かりませんでした。

 長い間探し回りましたが、見つからず、
そのうち砲撃中止となりました。

 萩風のみ、一発の砲弾も撃たずに戦闘が
終了してしまいました。倉橋氏は、恥ずかしさと、
残念さから、申し訳ないことをしでかしたと
感じていました。部下に対しても、面目が
立ちませんでした。

 倉橋氏は、艦長に平謝りしました。帰港
したら、有賀司令にどれだけ怒られるかと、
観念しました。

(追記)
 この戦闘後、夜が明け、倉橋氏は、ガダル
カナル島を白日のもとに初めて見る事が
出来ました。

 海は穏やかで、熱帯でありながら朝の陽の
光は、やわらかく慈愛に満ちていたとしています。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 潜望鏡発見 [駆逐艦萩風]

 夜が明け、ガダルカナル島を見ていた
倉橋氏は、見張員の「潜望鏡。
左30度、70」という叫び声を
聞きました。

 信号が、嵐にも上がり、「第一戦速」、
「爆雷戦」、「戦闘」、「左砲戦、潜望鏡」と
矢継ぎ早に号令がかかりました。

 見張員からの、「潜望鏡に間違いなし」の
叫び声がありました。「左30度。潜望鏡」という
下命で、砲塔は目標に対して旋回しました。
測距儀は、6kmという測定値を出してきました。

 倉橋氏が、撃ち方始めの号令をかけようと
した時、潜望鏡が伸び出し、司令塔まで海上に
姿を現しました。一瞬「果たし合いか?」と思い、
号令をかけるのをためらいました。

 潜水艦はさらに浮上し、船体が30度も傾いて、
艦首から飛び上がるように浮上しました。すると、
司令塔に、海水でぬれた日の丸のマークが
くっきり描き出されていました。

 味方潜水艦に誤射せずにほっとしました。
潜水艦の艦尾200のところを通過し、帽子を
振って健闘を祈りながら、別れを惜しみました。

 この後、野分と舞風は、ラバウル方面に分派
され、帰島の途につきました。嵐と萩風は、
一木支隊の連絡と、陸上戦闘支援のため、
しばらくガダルカナル島沖に残る事になりました。

 敵の空襲には、警戒が必要でした。

(追記)
 潜水艦部隊も、数隻、ガダルカナル島攻略の
支援のため、急行していました。倉橋氏は、この
事実を、電報で受け取っており、知ってはいました。
しかし、ここで出合うとは予想していませんでした。

 ガダルカナル方面の戦闘は、駆逐艦にとっては、
地獄の様相ですが、潜水艦も駆逐艦同様、苦戦を
しいられる事になります。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 射撃指揮所 [駆逐艦萩風]

 眠っていた倉橋氏のところに、突然「砲術長、
戦闘です。艦長がお呼びです。」と声をかけられ、
慌てて飛び起き、艦橋の下にある射撃指揮所に
上がりました。

 外に出ると、あたりは暗く、右砲戦の命令が
出ているのか、砲塔と射撃指揮所は、右方向に
回っていました。

 これを見た、倉橋氏は、闘いに遅れをとったと
感じ、しまったと、自責の念にかられました。

 射撃指揮所に入ろうとしたものの、入れません
でした。射撃指揮所は、2重扉になっており、
内側の扉は、中にある方位盤と一緒に動く
構造になっています。

 そのため、射撃指揮所が右方向にまわって
いると、外側と内側の扉の位置が一致しなく
なります。

 倉橋氏は、ノックしましたが、鉄板のため、
中には全く聞こえていないようでした。靴で
ノックしても同様でした。艦橋に行き、
伝声管で射撃指揮所に、向きを変えて
もらう以外、入るすべはありませんでした。

 艦橋に行き、艦長に恥ずかしい思いをしながら、
「指揮所に入れないので、至急撃ち方やめを
下命してください。」とお願いすることに
なりました。

 前方にいる第四駆逐隊の他の駆逐艦も、
すでに、右方向に砲塔を旋回しており、
砲撃の準備を整えていました。

 萩風のみ、砲塔を一旦もとの位置に戻し、
砲術長がやっと射撃指揮所に入るところでした。
とんだ失態だとしています。

(追記)
 間が悪いとしか言えない失態ですが、
戦場という事を考えると、笑い話では、
済まない問題といえます。

 寝るにしても、射撃指揮所で、仮眠に
すべきだったという事になってしまいます。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 ツラギ沖を通過 [駆逐艦萩風]

 一木支隊を輸送した第四駆逐隊は、第一次
ソロモン海戦の戦場となったツラギ沖に向かい
ました。

 敵にとっては、恨み深い海域であり、月が
隠れて真っ暗な海面は、底知れない不気味さを
感じました。

 風はなく、波は静かでしたが、いつの間にか
霞のように低い雲が海面に下りてきて、視界が
悪くなってきました。

 山か雲か、その境界がはっきりしない
暗黒の中へ、4隻の駆逐艦は、突っ込んで
行きました。

 倉橋氏は、ここまで、一木支隊の上陸が
終わるまでは、乗員の世話を命じられており、
雑多な仕事がありました。その上、三交代の
当直も続けなければならないので、休養も
ロクに取れない日が続いていました。

 この時は、上陸という大仕事があり、疲労も
加わっていました。ここに来るまでは、敵が
来るかもという緊張感が続いていましたが、
無事、ツラギ沖を抜けると、身体がぐったり
して、眠くなってきました。

 全員配置について、警戒を厳にし、ツラギを
急速に離れていくと、明日も明後日も、厳戒
態勢が続くと考えた倉橋氏は、疲労回復のため、
私室に入って眠りにつきました。

 これが、失敗を招く事になりました。

(追記)
 この当時であれば、睡眠は、邪魔なもので
あり、寝ないで仕事が出来るのは偉いという
風潮があったと思われます。

 最近の研究では、睡眠は、人間にとって
重要な行為であり、不足すると、アルコールで
酔っている状態と変わらなくなる位、判断力が
低下するそうです。

 精強な軍隊も、健康体である事が前提であり、
寝不足では、本来の力は出ないといえます。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 攻撃失敗 [駆逐艦萩風]

 一木支隊を見送っている時も、倉橋氏らは、
敵艦への見張緩めるわけにはいきませんでした。
それでも、一木支隊のジャングルでの行軍や、
二日後の屋集での成功を祈っていました。

 内火艇が帰還し、上陸は無事に完了
しました。倉橋氏らは、肩の荷が下り、
ホッとしました。すぐさま、西に向けて
急遽出港にかかりました。

 錨を上げ、次に来るかもしれない不意の
敵艦船との遭遇に備えて、再び心を引きしめ
ました。

 6隻の駆逐艦のうち、第四駆逐隊に所属して
いない2隻は、ラバウルに直行し、第四駆逐隊は、
ツラギ沖に向かう予定となっていました。

 一木支隊からは、打ち合わせていた
連絡がなく、案じていましたが、数日後、
連合艦隊あてに電報が届きました。

 それによると、二日後の敵飛行場襲撃のために
近づくと、川を渡るところで、鉄条網に引っ掛かり、
そこを激しく撃たれ全滅状態になったということ
でした。

 敵飛行場奪取に失敗した一木支隊は、
敵飛行場を目の前にしながら、切腹した
とのことでした。陸軍第一回のガダルカナル
島攻撃は、惨憺たる失敗に終わりました。

(追記)
 一木支隊が、ガダルカナル島に上陸した時、
アメリカ軍は、数十隻の船団で上陸し、野砲、
速射砲、戦車などの重装備を持つ、海兵1個
師団(10000人以上)が配備されていました。

 対して一木支隊は、6隻の駆逐艦で輸送した
ほとんど丸腰に近い2個連隊にもならない千名の
兵力でした。

 これでは、失敗に終わるのは無理はない
といえます。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 ガダルカナル島に接近 [駆逐艦萩風]

 萩風艦上で、囲碁や将棋を指していた
一木支隊の兵士たちに、倉橋氏は、
「波が静かなので、見ておいては
どうですか」と声をかけました。

 すると、一木支隊の兵士たちは、立ちあがり、
甲板に出て波を見ていました。萩風は、28ノット
という高速で航海しており、この様子を見た
兵士たちは、「駆逐艦の高速航行を見る事が
出来て、故郷へのいい土産話ができました。」
と言って、喜んでいました。

 上陸が近くなると、のんきに過ごして
いた兵士たちは、緊張が漂って来ました。
あちこちに集まっては、打ち合わせに
余念がありませんでした。

 インデスペンサブル水道に入り、
はるかにガダルカナル島の東北の
マラタイ島が見えてきました。ゆったりと
した自然でした。

 この静けさの中に、彼我、血みどろに
なって激闘しているとは、夢想だに
できない事でした。

 午後7時となり、あたりは暗くなって
いましたが、熱帯の人煙がまれな地域
なので、空気が澄んでおり、はるか遠く
まで良く見る事が出来ました。

 そのため、遠くの島を近くに見たり、
雲を島と見誤ることが良くありました。

 1942年8月18日夜12時、レンゴ水道の
東側入口にあるタイボ岬へ、速力を落として
近接していきました。倉橋氏らは、敵艦隊が
現れはしないかと、闇の中を必死に見張って
いました。

 敵艦隊が現れたら、ただちに、航進を
起こせるように短く錨を落としました。錨を
落とすと、萩風は、潮流に乗って少し回り
ました。

 明かり一つ出さずに、舟艇による上陸が
開始され、倉橋氏は、「元気で頑張ってくれ」と、
今から死地に飛び込む一木支隊に、別れの
挨拶をしました。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 平賀総長 [駆逐艦萩風]

 駆逐艦は、軽快な軍艦ですが、航空機の
行動圏内であれば、高速で走ってもあまり
意味はありませんでした。

 さらに、電探が発達してきており、昼でも
夜でも差がなくなりつつありました。輸送の
任務は、簡単ではありませんでした。

 これについて、ミッドウェー海戦の1か月前、
倉橋氏は、第四駆逐隊司令官の有賀大佐と、
東大総長の平賀譲(ひらがゆずる)博士の
会席に、同席しました。

 平賀総長は、軍艦の造船技術の権威でした。
平賀総長に、有賀大佐は、「駆逐艦の速度を
もう少し出せるようにできませんか。」と質問
しました。

 これに対し、平賀総長は、「今の33ノットを、
40ノットにあげても、飛行機にとっては問題に
ならない速度でしょう。」と言われています。

 造船の大家が、近代戦の様相を察して、
無意味な速度の増加には、執着するところは
ないようでした。倉橋氏は、意味深い言葉だと
感じました。

 3日間の航海で、いよいよガダルカナル島に
近接するにつれ、逐次速度を上げていきました。
波は静かで、海は碧く澄んでいました。この時、
一木支隊の兵士たちは、将棋や囲碁を楽しんで
いました。

(追記)
 平賀譲(ひらがゆずる)博士は、巡洋艦夕張の
設計で名をはせ、その後青葉、加古、衣笠、古鷹
といった巡洋艦の設計に携わっています。

 これらの経験をもとに、特型の駆逐艦が作られ、
陽炎型に引き継がれていった事を考えると、
かなり影響を有した博士だったといえます。

 一方で、名前とは違って、平賀不譲(ひらが
ゆずらず)と渾名されるほど、頑固な面を持って
おり、批判も受けています。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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駆逐艦萩風 一木支隊の面々 [駆逐艦萩風]

 一木支隊は、倉橋氏が、丸腰と感じたような
軽装でも、キビキビした動作で行動しており、
元気旺盛で態度も立派にもかかわらず、
つつましい口調の話し方をしており、
敬服したとしています。

 駆逐艦嵐の前甲板に上がった若い旗手が
持っていた連隊旗は、ボロボロになっており、
数々の武勲を物語っていました。

 その晩、2回上陸訓練を行うと、張り切って
ゴムボートに乗り移る訓練を始めました。

 年配の中尉が、「一回終わったからいいだろう。」
と言うと、若い少尉が、「これこそ最後の訓練に
なります。この日あってのためです。」と主張し、
2回の乗艇訓練を行っていました。

 中尉が、倉橋氏に、この中隊は、あの若い
少尉が唯一の陸軍士官学校卒業生ですと
感心したように教えてくれました。

 翌日、トラック島を出撃し、潜水艦への
警戒のため、18ノットでジグザグに
進んでいきました。陽炎型は、13ノット位の
速度が、最も経済的な速度となります。

 駆逐艦は、燃料搭載量が少ないので、
危険な航空機圏外は低速で航行し、
航空圏内は、経済性を無視した
高速航行を行います。

 計算上、夕方に航空圏内に入れば、一晩で
ぎりぎり往復できる事になります。

(追記)
 倉橋氏は、一木支隊の人達を、精鋭中の精鋭と
感じたとしています。小柄で色は黒いが、つやつや
した皮膚を持つ元気いっぱいの人でした。しかも
紳士的な印象を与える人達でしたとしています。

 一木支隊は、大陸で活躍しており、盧溝橋事件に
かかわっています。精鋭部隊と言うのは間違いでは
ありません。しかしながら、準備不足のまま出撃したのは、
問題だったといえます。


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著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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