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駆逐艦涼月 アメリカと日本の思想の差 [駆逐艦涼月]

 倉橋氏は、沖縄への特攻作戦において、
アメリカ軍が果敢に攻撃してきたことに対して、
考えさせられるものがあるとしています。

 ミッドウェー海戦において、アメリカの
雷撃機が、輪形陣に進入して、零戦に撃ち
落とされながらも、残存した機で編成を
組んで魚雷発射を敢行していました。

 沖縄特攻作戦においても、熾烈な防空砲火を
顧みず、果敢に肉迫攻撃を、敢行していました。

生命を惜しまない肉弾戦は、日本の専売特許では
なかったことを意味するとしています。しかし、やる
ことは同じでも、背後にある思想については、
アメリカ軍と日本軍には、根本的に違いがあります。

 アメリカ軍は、人命救助に対して並々ならぬ
労力を割いています。クラ湾夜戦の際に撃沈した
巡洋艦ヘレナの乗員を、続くコロンバンガラ夜戦で
苦闘した駆逐艦も含む船団で、日本軍が占領する
ベララベラ島にボートで取りついて、乗員を救助して
います。

 倉橋氏は、個人を尊重するデモクラシズム国民の
長所なのか、これが敢闘精神の裏ずけになって
いるのではないかとしています。

 日本の特攻作戦と、アメリカ軍の救出作戦、
我は死ねといい、彼は助けようという、比べて
考えさせられるものがあるとしています。

(追記)
 ミッドウェー海戦において、アメリカ軍の攻撃機に
乗っていて撃墜され、日本の機動部隊の輪形陣に
落ちながら、アメリカ軍に救助されたいう事例がある
ことを紹介しています。

 倉橋氏は、涼月が、撃沈していたら、自分たちは
どうなっていたのかとしています。行方不明の扱い
になっていた涼月は、見捨てられたのではないかと
しています。


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駆逐艦涼月 特攻に対する犠牲 [駆逐艦涼月]

 太平洋戦争最後の特攻作戦に際し、全滅
覚悟の出撃だったので、多くの戦死者を
見過ごすことはできないとしています。

 この時の、アメリカ側の被害は、航空機7機と
しています。涼月が、大和左舷側で撃ち落とした
戦闘機は3機です。

 その他、倉橋氏が、戦闘機が落ちている場面を
見たのは、12回でした。戦闘機の被害が、7機だと
すれば、日本海軍は、これと引き換えに、大和以下
6隻の艦艇を、犠牲にした事になります。

 連合艦隊司令部のいう、沖縄航空戦に対する
牽制が目的だったとすれば、実際の対空戦闘は、
30~40分しか起きておらず、どれほどの牽制の
役に立ったというのだろうか、としています。

 帰還直後、森下参謀長は、本戦闘に対して、
「今後このような作戦はやらない。申し訳
なかった。」との謝りの文句を、伝えられて
います。

 そして、若い士官は、「もし、連合艦隊司令部
みずからこれを率いて沈没したというのなら
まだしも。」と言い放っています。

 自らは、陸上の防空壕に在って、特攻命令を
発したことに対する批判だといえます。

(追記)
 この時、アメリカ軍は、空母13~21隻用意し、
全て那覇の北東から東南方向に位置して
いました。

 来襲した航空機は、のべ300機であり、戦闘機の
援護なしに、敵機と交戦した我が兵力にとっては、
あまりにも強力すぎる敵勢でした。


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駆逐艦涼月 江藤虎蔵二等主計兵曹 [駆逐艦涼月]

 倉橋氏は、主計兵で、艦内演芸会の時、
貫一を演じていた江藤兵曹のことを、
紹介しています。

 江藤兵曹は、正式には、江藤虎蔵二等
主計兵曹で福岡出身です。平素は地味で、
あまり目立たない人でした。

 口数は少なく、おっとりとしていて、技巧に
たちまわることのないような人でした。仕事ぶりも
抜群というわけではなく、あまり目立たない人
だったと主計中尉は評しています。

 一方で、福岡人気質を肌触りが好感を持て、
福岡出身の人達に対する好印象を作る要因に
なっていたともしています。

 この当時は、地域代表という感じだったので、
一人が好感を持たれれば、地域全体に好感を
持てるという感覚だったといえます。

 涼月が、佐世保の到着してから、2、3日後、
兵舎の一室を借りて、演芸大会が催されました。
これは、慰霊祭に変えて行われたものでした。

 倉橋氏は、この演芸大会は、笑いを誘って
いましたが、貫一お宮の幕がない事に、何か
こみあげてくるものを、抑えきれなかったと
しています。

 倉橋氏は、近代戦は、センチメンタリズムを
超越し、戦争は、血も涙もないと締めています。

(追記)
 江藤兵曹は、1944年に結婚届けを出して
いました。江藤兵曹は、許可か入籍の通知が
来るのを、一日千秋の気持ちで待っていました。

 しかし、手違いが発生し、書類は届けられて
いませんでした。そのことを知った江藤兵曹は、
がっかりしていました。

 その後、急ぎ届け出はしたものの、江藤兵曹の
生前に結果が返ってくることはありませんでした。
倉橋氏は、戦後も心残りだったとしています。


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駆逐艦涼月 配置を守った弾庫員 [駆逐艦涼月]

 涼月の片づけ作業として、倉橋氏は、
下甲板から一番砲塔の方へ向かい
ました。

 下甲板は、ひどく吹き飛び、へし折れて
最上甲板は、盛り上がっていました。
左舷の、飴のように曲がった甲板を
伝わって、一番砲塔に向かいました。

 一番砲塔の弾薬通路の左舷側に到着し、
そこにあった居住区の扉が開きました。
この甲板は、さほど影響を受けておらず、
原形のまま残っていました。

 階段を下りると、障壁につっかい棒がされ、
楔とかすがいがしてある所に、3体の屍が
ありました。

 その3体の屍の中に、主計兵で、艦内
演芸会の時、貫一を演じていた江藤兵曹が
ありました。

 かれは、短刀でのどをさして自害して
いました。これを見た倉橋氏は、正視する事が
出来ず、その場を離れて、後部士官室に
突っ伏してしまいました。

 江藤兵曹は、前部応急員として防火や
防水の応急作業を教えられていました。
防火で最も大事なのは、弾火薬に引火する
ことを防ぐことです。

 ドアを厳重に閉鎖すれば、区画ごとに被害を
止める事が出来ます。この事を、何度も聞かされて
いました。

 防水は、被害を最小限にするため、区画に
浸水があれば、隔壁を補強するためにつっかえ棒を
して楔やかすがいで、外れないように固定することも
何回となく訓練していました。

 この3人には、外傷はなく、生きるつもりであれば
脱出できたと思われます。それをしなかったのは、
自分たちの役目として、弾庫の扉を閉じ、浸水を
防ぐために、隔壁を補強する事に専念したため
でした。

 そして、その作業は、自分たちの脱出路も
ふさぐことになってしまいました。この尊い
行いにより、この一角に空気が残った事で、
涼月前部が、海面下に沈んでいながら、
撃沈しなかった理由でした。


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駆逐艦涼月 配置を最期まで守る [駆逐艦涼月]

 涼月は、ドックに入ると、次第に沈んでいき、
静かに底に座り込みました。ドックの排水が
進むにつれて、マザマザと被害の実情が
現れてきました。

 涼月の内部には、弾薬が散乱しており、
暗くなると危険だとされました。そのため、
ドックの排水は、翌日に延期となりました。

 翌日、朝から片付け作業を開始しました。
片付けるものの中には、当然死体もあり、
倉橋氏は、背筋が棒のように硬くなった
としています。

 射撃盤室に入ると、そこにいた人達は、
腰をかけたまま、頭を射撃盤につけて、
うつぶせになっていました。

 被曝と同時に頭を打ったのか、ひたすら
射撃盤の操作に専念していた時に、即死
したようで、まるで今もやり続けているような
感じでした。

 発令所に入ると、ここにも、配置に腰かけた
まま、うつぶせになって戦死していた兵員が
いました。電路の管理操作という重要な
任務の奮戦中に、即死したようでした。

(追記)
 射撃盤室は、鉄板が屈曲していて、ドアを
開けることすらできませんでした。結局、
ドアを焼き切る事になりました。

 腰かけて作業中に、頭を撃ってそのま即死に
至るほどの衝撃と言うのは、想像もつきませんが、
すさまじいものだったといえます。

 倉橋氏は、このような死体と対面する事に、
後ろ髪を引かれるような思いすらする
としています。

 涼月のような駆逐艦の場合、乗員全員が
顔見知りと言う事もあるので、なおさら
だったといえます。


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駆逐艦涼月 冬月の帰還 [駆逐艦涼月]

 涼月の僚艦の冬月は、佐世保への帰還中、
電探が、敵潜水艦を発見し、配置について
います。

 探照灯を使って、海面を照らして、辺りを
探しましたが、見当たりませんでした。
戦闘は終わったといっても、緊張を緩める
ことはできませんでした。

 昨日の戦闘の疲れをいやす暇は、ありません
でした。最後の油断が、今までの苦労を無にする
ことは、十分にあり得ました。

 この夜、冬月は、2回も配置につけの号令が
かかりました。探照灯も2度照らされ、探信儀や
聴音機は、数回敵潜水艦を探知していました。
緊張状態の中、24ノットで航海を続け、
翌朝には、無事、佐世保に到着しています。

 涼月が港に戻ってきたのを見た時は歓喜し、
涼月の満身創痍の姿に、夢の様な心地だったと
しています。

(追記)
 冬月は、出撃前に、酒保の物品を全て、乗員に
分配し、その処分を各自に任せていました。
大半は、居住区の棚に置かれていました。
これが、思わぬ役に立っていました。

 救助した人達の食事の用意はとても間に合い
ませんでしたが、この酒保の物品は、居住区に
たくさんあり、居住者は、これで飢えをしのいで
いました。

 ある意味、救助された人達は、普通の食事より
うまいものにありつけたといえます。矢矧にいた
池田氏は冬月に救助されていますが、冬月の
乗員が残した酒保の物品にありついたのかは、
不明です。

 冬月の乗員にとっては、偶然役立ったとも
言えるし、甚大な被害だったともいえる
出来事でした。


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駆逐艦涼月 佐世保に帰還 [駆逐艦涼月]

 長い夜が明け、午前10時ごろに、島が
見えたという報告があり、一同喜びました。

 海図がないのでどこの島かわかりませんので、
漁士出身の兵員を甲板に狩り出して、確認
させる事にしました。

 すると、機銃員の一人が、五島列島で間違い
ないと確信を持って返事してきました。この
機銃員は、普段はのろまで、気がきかないと
あしらわれていましたが、この時は、艦の
命綱になっていました。

 乗員一同は、わらをもつかむ心地で、彼の
言葉に従いました。針路を東に変え、長崎沖の
方を目指していきました。

 そこに小型の漁船が近づいてきました。この
漁船から、「われ、貴艦の側方を護衛する」という
手旗がきました。一同は苦笑していました。

 そして、涼月は、佐世保に帰還する事が
出来ました。艦首が沈みそうな状況で、
後進しながら帰還した涼月の姿は、特に
眼を引きました。

 (一足先に戻っていた池田氏は、冬月、
雪風、初霜から万歳が起ったとしています)。

 涼月は、3隻の曳船が引っ張って、強引に
ドックに引っ張り込んでいます。

 この様子を見ていた冬月の乗員は、ドックの
扉をあのように乱暴に開けられたところを、
見たことはないし、涼月が引っ張られている
様子は、生ある者が、息たえる様な感じ
だったとしています。

(追記)
 涼月前部の消火に、徹夜で当たっていた
防火隊は、足の踏み場が凸凹で、苦労して
いました。

 明るくなった頃、床の凸凹を確認すると、
幾人もの人が折り重なった焼死体でした。

 消火作業中、知らずに死体を踏んで、消火
活動していたという事実を知り、指揮していた
砲術長は、「戦場には涙はないが、つくづく
すまぬと思った」と語っていました。


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駆逐艦涼月 サイダー [駆逐艦涼月]

 倉橋氏は、喉が乾いてきました。

 水気がある物を口にできなかった上に、
食事が乾パンなどだったためでした。これに
加え、決死行という事から、長時間の精神的
束縛を受けており、戦闘でも連続の緊張に
さらされ、その後は生死をさまような状況
だったことも関係していました。

 倉橋氏は、偶々、沖縄上陸のためにと、
水筒を肩から担いでいました。これを飲み
ながらのどを潤そうとしたものの、喉は、
カンナ屑が詰まっているように、渇きを
感じ、あっという間に水筒の水は、飲み
ほしてしまいました。

 水を汲みに行きたいと思ったものの、
ここから離れているときに、敵に襲われたら
という思いがあり、席を立つこともできません
でした。

 このような時に、乗員が、サイダーが
ありましたと言って持ってきてくれました。
倉橋氏は、夢かと思うほど嬉しかった
としています。

 一緒にいた見張り員も、寄ってたかって、
栓を抜きました。倉橋氏も例外ではありません
でした。

 瓶を傾けるようとしたところ、肩や腕の疲れで
神経が鈍くなっており、一挙にさかさまにして
しまいました。そのため、鼻の中まで、サイダーの
泡が立ってしまいました。

 このおかげで、一気に元気を取り戻しました。

(追記)
 駆逐艦では、酒保物品を集めることも苦心の
一つでした。大艦巨砲主義の影響で、大型艦が
優遇されていたからでした。

 当時、稀少品だったウイスキーの角瓶が、
大型艦には、割合たっぷり割り当てられて
いました。

 倉橋氏らは、苦労の多い小型艦にこそ酒保
物品をたくさん割り当てるべきだと、何度も
苦情を言っています。


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駆逐艦涼月 底知れない悲しさ [駆逐艦涼月]

 戦いが終わり、緊張がほぐれてくると、
倉橋氏は、底知れない悲しさが、
立ち現われてきました。

 水面下に沈んでしまった前部の各部屋は、
どうなっているのか、誰か生きている者は、
いないのだろうかという考えが浮かびました。

 涼月は、ゆっくり後進を続けました。幹部は、
くるっているコンパスを頼りに、操艦をして
いました。

 舵は手押しポンプによる手動操作で行って
いました。4人がポンプを押すと圧力が上がり、
舵が回る仕組みでした。

 涼月は、後進しているので、舵を右舷の
方向に回すと、艦尾は左に向きました。舵を、
回しては、針路が戻ったら中央に戻すを
繰り返していました。

 このような悠長なやり方なので、針路を
維持するのも難しい状況でした。応急操舵の
作業員は、20分交代で頑張っていました。

 同様に、機関科の乗員も、灯火のない
暗黒の缶室で、頑張っていました。

 火災は、炎が方々にのぞいてました。
暗闇の中で、明かりをつけているような状態で
あり、敵潜水艦や哨戒艇に見つかったら、
最後でした。

 海が少し荒れたら、涼月は終わりでしたが、
幸い、海面は平穏でした。

 このような中、雷跡を発見しました。至近
だったため、避けようもありませんでした。
しかし、魚雷は、後部を通過していき、
その上を涼月は進んで行きました。

 後進は、スクリューの回転に速度に比べ、
速度が出ないので、測量を誤ったようでした。
幸いこの後攻撃を受けることはありません
でした。


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駆逐艦涼月 後進で佐世保を目指す [駆逐艦涼月]

 退く事を決断したものの、涼月は、前進は
できないと判断され、後進で走る事になり
ました。しかも、外板が保たないので、最低の
速力で進むしかありませんでした。

 しかし、涼月は、現状どちらを向いているかも
わかりませんでした。そこに、偶然、味方の駆逐艦
(雪風か初霜)が、近づいてきたので、手旗信号で、
方向を尋ねました。すると、沖縄の方向に向けて
いたことが分かりました。

 教えてくれた駆逐艦に、後進で佐世保に向かう
と伝え、旋回して北東の方向に向けました。この
方向なら、悪くても、九州か朝鮮に着くだろうと
いう考えでした。

 このとき、僚艦の冬月は、大和の救助活動を
始めた時に、涼月が煙を上げているのを見て
いました。霞の処分を終えた冬月は、涼月も
救助すべく、向かいましたが、涼月の姿は
ありませんでした。

 冬月は、遠くにいっていないだろうと判断し、
列島線に向かったと考え捜索しましたが、
見つかりませんでした。方向探知機を、
輻射しまいたが、涼月からは返事は
ありませんでした。

 信号用探照灯を使って応答を求めましたが、
何の音沙汰もありませんでした。ついに見つから
ないと判断した、駆逐艦司令と艦長は、午後8時に
捜索を打ち切り、24ノットで走り続けました。

(追記)
 涼月は、コンパスが壊れていたので、ひたすら
陸地がある方向を目指していたため、冬月の捜索
範囲からは、外れていました。

 電信機室が壊れていたため、方向探知機に返答
することはできませんでした。


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