SSブログ

巡洋艦最上 第二艦隊と合流 [巡洋艦最上]

 午前3時頃、前方に、水平線上のマストが
見えはじめました。合流する第二艦隊の主力
でした。艦隊は、敵襲に即応の体制を、
充分に整えているようでした。

 まもなく、艦隊旗艦から、発光信号が
送られてきました。「駆逐艦1隻はいかに
せしや」というものでした。艦隊旗艦からは、
後方からくる駆逐艦荒潮は確認できない
ようでした。

 曾禰氏は、「後方10里で、人力操舵で
続行中」と返事しました。やがて、荒潮も
姿を現し、最上、朝潮、荒潮は、第二艦隊に
合流できました。6月8日午前4時頃でした。

 合流後、三隈の負傷者を、鈴谷と熊野に
移して、再び艦隊から別れて、トラック島に
向けて、航行を開始しました。


 曾禰氏は、副長から「水葬の準備よろし」
との報告を受け、ギョッとしたとしています。
最上の戦死者は91柱で、それぞれの部署で、
直接、間接を問わず、勇戦奮闘してくれた
乗員達でした。

 曾禰氏は、なんとかして、遺骨を内地
帰着後に、故郷に返してやりたいという
気持ちを持っていました。

 しかし、暑い南洋の海上で、さらに
数日間、遺骸を保存することは、
当時の艦内事情から不可能
でした。

 副長、軍医長の説明で、水葬やむない
事情が分かり、曾禰氏は、涙をのんで、
準備を命じました。

 遺骨代わりに、各分隊員たちは、遺髪、
爪などの一部を残して、それぞれ新しい
毛布で遺骸をまいていました。

 曾禰氏は、飛行科関係の戦死者は、
プロペラの部品や、生前愛用した飛行機の
一部を遺体とともに処置した、友情あつい
分隊員の行き届いた行為もあったと、
報告をうけていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 平文電文 [巡洋艦最上]

 曾禰氏から命令を受けた通信長は、厳禁と
されている長文の平文を見て、ぎょっとし、
平文発信でいいのか、反問してきました。
曾禰氏は、その通りだと念を押して発信を
命じました。

 折り返し、第二艦隊長官から、最上の針路の
指示がきました。後日、曾禰氏の予想通り、
敵の巡洋艦部隊が、最上を追跡して
いました。

 しかし、最上の平文電文を読んで、主力が
近くにいて危険だと判断し、追跡をやめて
いました。

 危機一髪、不利な砲戦をすることなくなり、
平文通信は、お叱りを受けずにすんだとして
います。緊急処置として見逃されたからかも
しれないとしています。

 この日の午後6時、第二艦隊長官から、
「第二艦隊に合流せよ。」という命令が
きました。

 多くの乗員は、明朝の死闘を予想して、
気が気でなかったものと思われますが、
大抵のものは、これまでの死闘の疲れで、
ぐっすり眠っていたようでした。

 曾禰氏も、艦橋にある艦長休憩室で
寝ることにしました。昼間の激闘を反芻
しながら、ほんの少しまどろんだと思ったら、
はや、夜は、白々と明けかけていました。

 払暁の不意打ちを食っては不覚と思い、
飛び起きました。即応の姿勢を取るために、
総員起床を命じた後、直ちに、
「戦闘配置に付け」を令しました。

(追記)
 曾禰氏の平文電文の真の意図は、明確に
なっていませんが、①主力と合流することで、
敵艦隊との砲撃戦を、しやすくする。
②自ら囮になって、敵艦隊を主力から
 遠ざける。
のどちらかだと思われます。

 どちらの意図にせよ、敵の出方が
不明なので、良し悪しの判断は
できません。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 新たな敵 [巡洋艦最上]

 空襲を振り返ると、第一日目は、何派来たのか
曾禰氏も忘れたとしています。その対応で、全員
戦闘配置から、離れられなかったという事実から、
相当頻繁に来ていたことは確実でした。

 この日は、命中弾はなく、至近弾が舷側付近の
水面に炸裂しただけでした。それでも、外板に
無数の小孔をあけ、蜂の巣のようになっている
ことが判明しました。いかに、爆弾の小破片が、
四散したかが伺われました。

 被害は戦死者2名と、重傷2名でしたが、
重傷者の一人の飛曹長は、艦橋後部で左腕を
撃ち抜かれ、左腕切断のやむなきに至り
ました。さらに、翌日の被弾で、治療室で
悲惨な戦死を遂げました。

 空襲二日目は、三隈生存者を駆逐艦に
収容中、第三波の空襲を受けて、やむなく
三隈を離れ、西方に退避して夕闇が
迫った後、「撃ち方止め」を号令して
います。

 焼け付くような海上での奮戦で、艦も
兵器も乗員もクタクタになっていました。
最上は、夜間対潜警戒を厳重にしつつ、
速力を12ノットに減速(燃料の節約の
ため)し、第二艦隊長官の指示によって、
航行を続けました。

 そのような時、はるか東南の水平線上に、
敵水上偵察機を発見しました。水上偵察機で
ある以上、敵の水上部隊が近づいていることは
確実で、遠からず砲戦を強いられそうでした。

 曾禰氏は、早速艦内高声令達器を持って、
直接この状況を説明し、その心構えをするように
命じました。

 次に、通信長に、平文で、「敵水上艇に
触接せらる。敵水上部隊近しと判断す。
われ、これを連合艦隊主力方面に誘致する
如く行動す。」と通信するよう命じました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 血と肉の地獄絵図 [巡洋艦最上]

 戦死体は、分隊員が、遺髪とつめを、丁寧に
つみとり、姓名確認のための、防暑服のどこか、
あるいは靴などに記されている姓名をあたって、
確認する作業も一方ならぬ難作業でした。

 機関室で戦死した同科員が、最期のときに、
隔壁や側壁に「仇をとってくれ」、「天皇陛下万歳」
など、当時の景況を推量できる曾禰氏は、涙なくして
読まれない文字が、釘や鉄片で書きつけられていた
としています。

 他に、爆弾で曲がった鉄骨にいた真っ黒く
焼けただれた遺体を見つけ、引きずりだし
靴から氏名を確認すると、自分の分隊員で
あることを確認して、ぎょっとしたと、
言う者がいました。

 某機関銃手は、配置で敵機の機銃掃射を
受けて、その場で戦死したにもかかわらず、
機銃の銃把から手を外していなかったという
報告を受けました。

 また、運転下士官は、運転ハンドルに体を
縛り付けて、ハンドルに伏せたままの形で、
戦死していました。この報告を聞いた
曾禰氏は、暗然たらざるをえません
でした。

 まさに、血と肉の地獄絵図のような状態
だったので、一段落するまでは、容易ならぬ
作業だったと言えます。

 こんな勇敢な乗員があったればこそ、
二日連続の強襲にもかかわらず、深傷の
艦を相当の乗員と共に、基地に回航
できたと言えます。

 曾禰氏は、艦霊慟哭しながらも、最上を
守護してくださったと、感激せずには、
いられなかったとしています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 地獄絵図 [巡洋艦最上]

 最上は艦首を破損し、造波抵抗が大きくなり、
左右にかき分ける艦首波から推定し、高速で
航行していると、敵に思われました。

 敵機は、最大の28ノットで航行していると
勘違いし、最上のはるか前方を観測していた
ようで、「捜索すれど、敵影なし。」とでも
打電しているようでした。

 曾禰氏は、戦闘終了後も、艦橋から動かずに
いました。最上の処置は、副長に任せていたので、
ときおり、その報告を聞くのみで、見える範囲に
ある上甲板の状況以外は、全く分かりませんでした。

 艦内の片付けと清掃作業が行われていました。
一番困難な作業は、遺体と負傷者の処置でした。
艦内で比較的広い、士官室と士官次室に、
重軽傷者は、収容されました。

 この時の様子を、応急員が次のように書き
残していました。「上半身のないもの、片腕が
ちぎれたもの、首のないもの、内臓が、
露出して黒焦げの者、外傷はないが、
強烈な爆風にやられたであろう者
などがありました。

 生臭い血の匂いは、焼け跡のペンキとの
匂いと混じって、異様なまでの光景を呈して
いました。艦が動揺するたびに、流れ出た
血が、甲板を移動し、歩くと滑って地獄絵図
にも比すべき有様でした。

 分隊員は、戦死者の枕元に、パンをお供え
することを忘れていませんでした。艦内を
片付ける乗員は、手を洗う水もなく、そんな
手を忘れたように、パンを齧って働いて
いました。

 そのうち疲れて、戦死者や負傷者の近くに、
横になっている乗員も見受けられた。」と
なっています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 艦霊の慟哭 [巡洋艦最上]

 曾禰氏は、「昨日来の敵機による強襲で、
最上被弾するも、戦闘航行に支障なし。
三隈は、被弾、航行能力を失したるものの
ごとし、重傷者を収容の上、西航を続航す。

 朝潮報告によれば、三隈の所在海面に
至るも、艦影を見ずという。確認したるもの
なきも、沈没せる算段大なりと認む。
撃墜数8機。」と報告しています。

 曾禰氏は、暗然として、三隈と戦死者の
霊に黙禱をささげました。曾禰氏は、最上の
艦霊が、やるせない思いで慟哭を続けたと
感じていました。親友以上に、いつも連れ
添った三隈と永久の訣別となりました。

 さらに、最上自身も、乗員の一割近い
勇敢な乗員を戦死させたことに対し、
「艦長よ。まだ努力が足らぬぞ。」と、
お叱りを受けたような気持ちで、
命も縮まる思いでした。

 これまでは、最上、三隈、朝潮、荒潮の
4隻で、仲良く西航を続けていましたが、
この日から、最上と朝潮のみで、荒潮は、
ずっと遅れて後方を進むという、寂しい
逃避行となりました。

(追記)
 戦後、曾禰氏は、アメリカから来た
技術調査団に、三隈の最期を確認して
います。

 それによると、三隈はしばし浮いて
いましたが、潜水艦の雷撃で撃沈した
とのことでした。

 付近に浮いている乗員を救助しようと
したが、大部分は、拒絶したという
ことでした。

 何人かは救助したので、遠からず
帰国を許されるだろうということでした。
当時の状況は、この人達に確認すれば
よい。」と言われました。

 曾禰氏は、三隈の最期を、戦後に
なってから確認し、痛々しいと
しています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 三隈沈没 [巡洋艦最上]

 朝潮の報告を聞いた曾禰氏は、三隈は
ついに沈没したのかと暗然たるものが、
しばし胸中を去来しました。

 最上では、戦闘が一段落をつげるとともに、
「艦内かたづけ」の号令がかかりました。この
後始末は、戦闘にも劣らない作業でした。

 このころ、艦橋にいた信号員から、「艦長、
背中に血がにじんでいます。」と言われました。
曾禰氏は、全く気づかなかったので、少量の
出血で、にじみ出たのだろうと考えました。

 このことを誰かが知らせたのか、軍医長が、
艦橋にきました。曾禰氏は、「忙しい負傷者の
手当の最中だろうから、私の方は、後刻でも
よろしい。」と言いましたが、軍医長は、
曾禰氏が着ていた防暑服を脱がせました。

 曾禰氏の背中には、爆弾の小さな破片が、
横になって入っているらしく、ピンセットが
相当深く入ると言っていました。今の時点
では、どうすることもできないようで、
応急処置で済ませました。

 その後、この破片は、そのまま放置され、
曾禰氏の体に埋まっているということでした。
痛みもなく、記念すべき物となっている
ようです。

 曾禰氏は、朝潮に、二回目の重傷者収容を
命じましたが、三隈の船体を認めることは
ありませんでした。

 こうなると沈没した以外の、なにものでも
なく、曾禰氏が確認できないだけという、
やるせない気持ちになりました。

 曾禰氏は、所在先任者として決断する必要が
ありました。曾禰氏は、周囲の状況と、朝潮の
報告から、通信長に、暗号電信の報告を
するように命じました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 三隈被弾 [巡洋艦最上]

 三隈が黒煙を上げているのを見て、
曾禰氏は、異常を感じました。そこに、
三熊の高島副長から、信号がありました。

 「艦長重傷。いまより副長が指揮をとる。」
というものでした。艦長が重傷では、艦の
中心が失われたも、同然でした。

 しかも、三隈は、煙突に爆弾を受け、
速力が発揮ができなくなり、減速して
いました。この不運の爆弾で、機械室
指揮所が爆発し、機関長以下、多数の
戦死者を出したということでした。

 このため、逆に、最上が三隈の護衛を
しなければならない状況と、なりました。
曾禰氏は、不運の時は、不運が重なる
ものだと、感じました。

 曾禰氏は、しばらく戦況を見ていましたが、
三隈も苦戦しており、駆逐艦に、合間を見て、
三隈に横付けに近い状態に接近させて、
乗員の収容を命じました。しかし、この
作業中、またしても一集団の艦載機が、
むらがるようにして来襲してきました。

 この時、最上は、三隈の至近に停止
していましたが、これでは、危険だと判断し、
高島副長と、朝潮駆逐艦長に、「生存者
収容を一時中止し、日没頃再開する。」
と手旗信号で命じました。

 (荒潮は、この収容作業中、被弾により
舵が故障していました。)

 洋上は、明るくなるのも早いものの、
暗くなるのも早い傾向があり、午後になって
雲がだんだんと厚くなり、海上は薄暗く
なりました。

 日没頃になり、朝潮に、三隈地点に至り、
さきの作業を続行、終了次第最上に合同
せよ。」と発信しました。

 やがて何時間か経過し、朝潮より、
「三隈地点に艦影なし。付近を捜索
すれどもなし。」という報告が
きました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 発電機室とつながる電話線 [巡洋艦最上]

 消火のために撒いた海水は、熱湯となって、
爆発の衝撃で曲がった甲板の隙間から、
機械室に入り込みました。

 機械室は、甲板が曲がった影響で、ドアが
変形し、開閉不能となっていました。そのため、
応急員は、さんざん手を焼いたようでした。

 こうなると、艦内は蜂の巣をつついたような
さわぎとなり、食事も何も、あったものでは
ありませんでした。こうした、飛行甲板や
上甲板での状況は、機械室、缶室、
発電機室にいた乗員は、分かりません
でした。

 それでも、発電機室の分隊長は、曾禰氏の
戦況報告を、部員に知らえて士気を鼓舞し、
逆に、頑張ってくださいとは励まされました。

 艦内で最も温度が高い発電機室からの
報告と激励であり、曾禰氏は、胸を
つかれる思いで聞いていました。

 発電機室も、ドアが開かない状態なので、
閉塞されたも、同様の状態であり、唯一、
電話線一本のみで、つながっているだけ
でした。

 戦闘の最中で、曲がったドアをどうする
こともできませんでした。ついに、機械室と
発電機室の乗員は、その持ち場で大部分が
戦死するに至りました。

 曾禰氏は、艦長として見殺しにしたわけ
ではないものの、優秀な乗員を失ったこと、
涙をのむ以上の悲痛さを感じて、いても
たってもいられない気持ちでした。戦死者の
半数は、この配置にいた乗員でした。

 敵機は、最上に爆弾を当てたことで安心
したのか、矛先を三隈に変更したようでした。
一瞬のおりを見て、曾禰氏は三隈を確認
しました。三隈は、火災でのようで、
黒い煙を上げていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦最上 ついに被弾 [巡洋艦最上]

 敵機が迫ってくると、前方にいた三隈の
主砲が、遠雷のように響き、速くも防御砲火を
送って、少しでも最上を援護してくれている
ようでした。

 第一波は、至近弾程度で終わりましたが、
ホッとする間もなく、第二波がきました。
第二波は、第一波とは違う方向からの攻撃で、
いかに神技を持とうと、全てを交わすことは
できませんでした。

 最上は、第二波の集中攻撃を受け、数発の
命中弾をくらいました。このときから、
修羅場さながらの死闘が始まりました。

 一弾が、第五砲塔の天蓋に直撃し、大穴が
空いて吹き飛びました。砲塔内で、いましがた
まで防御砲火を送っていた砲塔員は、たちまちに
して全員が散華し、肉片が飛び散り、目を
覆わせるものがありました。

 応急員と、運搬員が、危険をおかして
重傷者から下部治療室に運び込みますが、
正視できないほどの惨状であったと
述懐していました。

 後日、この砲塔からは、怪火がみられる
という、うわさが出ていました。

 第五砲塔が吹き飛ばした破片は、第四砲塔の
側壁を突き破り、砲塔員若干を死傷させて
いました。他の敵機の爆弾は、後部の飛行
甲板に落ち、航空機3機を跡形もなく粉砕し、
甲板に火災を起こさせました。

 飛行甲板の下は、酸素魚雷が装填された
ままになっており、誘爆すれば艦は一瞬にして
破壊されることになります。

 水雷長から、「魚雷を射出放棄します。」
という進言を受け、曾禰氏は、「射出せよ。」
と断を下しました。

 火災を消すために、海水を甲板に撒水
しましたが、その海水は甲板にあふれ、
いつか熱湯となって、この処理に大いに
困ることになりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。