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海防艦205号、マニラで陸軍兵を収容 [海防艦205号]

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 マニラについた海防艦205号は、岸壁にいる原住民
らしい浅黒い顔をした40最前後の男の集団が、腰を
かけているのを見つけました。彼らは迷彩服を着て
おり、大きな袋を各自一つづつ持っていました。

 服には前後に“PW”の文字が描かれていました。江口氏は、
なんの作業をする人達なのかと首を傾げていましたが、隊長
らしき人が話はじめ、「はーい」という返事を聞いて、日本人
だということを知りました。

 “PW”は、捕虜という意味で、海防艦205号は、この人達を
引き取りに来たということです。この人達は、江口氏が原住民と
間違えるほど変わっていたということです。飢餓に苦しめられて
いたようで、足は、枯木の棒きれのようでした。

 江口氏は、この足でどうやって乗艦してきたのかと思うほど
衝撃を受けていました。しかも、40歳前後と考えていたのが、
実は20代だったということを知り、いかに飢餓の戦場をさま
よい苦しんでいたかを見せつけられたように感じました。

 海軍はひもじい生活ではあったものの、3度の食事は取る
ことができました。江口氏は、乗り込んできた人達(若き
陸軍兵)に対し、「ご苦労さま」と「ゆっくり静養してください」
という言葉を、心の中で願わずにはいられませんでした。

(追記)
 マニラを離れる時、収容した陸軍兵のひとりが、
「さらばマニラよ」と口ずさむと、別の兵がさえぎる
ように「二度とくるもんか」と吐き捨てるように叫んで
いました。

 ガダルカナル島やマニラなど、陸軍は過酷な場所に
派遣され、戦闘以外の理由で死ぬことになっています。
これを見ても、本土の司令部の作戦がいかにめちゃ
くちゃだったかが分かります。


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