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海防艦205号、2回目の引き揚げ [海防艦205号]

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 海防艦205号は、2回目の引き揚げ任務のために、
フィリピンのマニラに向かいました。1945年1月に、
船団を率いて、激戦地のリンガエンに突入しようと
していたのが遠い過去のように思われていました。

 船団護衛中に引き返すことになったバシー海峡を
抜け、マニラに接近しました。左舷前方に、青く霞んで、
緩やかに起伏する山と、細長く伸びた半島が見えて
いました。ここが、緒戦で苦戦したバターン半島でした。

 艦長従兵である江口氏は、艦長からの「両舷前進微速」
の命令を復唱して、通信機を通じて機関司令室に伝える
という任務を行いました。ちょうどこの頃、マニラ湾に入り、
右舷にコレヒドール要塞島が見えてきました。

 マニラ湾に入ると、何十隻という沈没船が、マストを墓標の
ようにして林立していました。傾いている船や、船首だけの船、
焼けただれた船橋や煙突を残して擱座しているものなど多数
ありました。しかも、見えているのは比較的大型の船なので、
小型船はどれだけ沈んでいるのかと思われました。

 海防艦205号は、これらの沈没船の間を蛇行しながら、仮に
設置された桟橋に向かい、無事たどりつくことができました。

(追記)
 コレヒドール要塞島は、スペイン統治時代から、
マニラ防衛のために全島全て要塞とし構築された
島です。後に、アメリカが、さらに大規模な改築を
行い、マッカーサーはここに立てこもって必死に
日本軍に抵抗しました。

 江口氏が来た時は、何事もなかったかのように熱帯の
強い日差しの中で、静かに眠っているように見えました。

この状態を、奥の細道の、
“夏草や つわものどもが 夢の跡”
という句で表現しています。


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