SSブログ

練習艦八雲に乗艦 [駆逐艦秋月]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 山本氏は、帰省して2,3日後、40度近い高熱が
出てきました。母親は、帰宅した時には気にもとめて
いないと思われた戦傷に対し、高熱には必死の看護を
してくれました。

 母親は、戦争で死ぬのは国のためだが、病気で
死なせては申し分けないと考えていたようです。
国鉄の魚沼線の線路が外され、2mの雪の中を
4kmもかけて、往診してもらうことになりました。

 この時の高熱は、マラリアに近いものだったよう
ですが、1週間ほどで平熱に戻り、体調は回復しま
した。そして、思いもかけず、家族で年越しをする
ことができました。


 1945年1月早々に呉に出頭せよの命令が来ました。
配属先は、訓練艦八雲(やくも)でした。負傷兵の仲間
入りをしたので、教育に立つことになりました。配属は、
機関長附兼機械分隊士でした。

 ハ雲は、石炭で動く罐を使用しており、艦を動かす
のに3時間は必要でした。そのため、朝の7時に出港
するときは、3時30分には起きて、準備しなければ
なりませんでした。

 この機関の担当は山本氏しかいなかったので、
毎朝この時間に起こされることになりました。

(追記)
 練習艦八雲は、1900年6月にドイツで作られた
装甲巡洋艦で、艦これには未登録です。ドイツから
購入した大型艦は、八雲だけです(戦利品や、
小型艦では存在します)。

 最初の活躍は、日露戦争で、日本海海戦の時に、
旗艦三笠と一緒にバルチック艦隊相手に砲撃戦を
行っています。

 日露戦争後は、八雲は、当初海防艦に機種変更
となりましたが、士官の養成に対応するため、練習艦
として使用されました。

 開戦後は、瀬戸内海を範囲とした練習艦として
任務をこなしています。


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。