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練習艦八雲の生活 [駆逐艦秋月]

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 練習艦八雲に配属になったものの、この当時は日本の
近海でも潜水艦が活動しており、瀬戸内海のみが練習
できる唯一の場所でした。

 朝3時半に起きて出港準備をした後、朝方出港し夕方に
どこかの港に投錨する。翌朝も、同じ手順で出港するの
繰り返しでした。

 山本氏は、機関長附として石炭を積む仕事の采配もする
必要がありました。石炭は、長さ25cm、幅15cm、厚さ10cm
のレンガのような形になっており、これを艦長以外の総員で行い
ます。月1回か2回石炭を積んだ石炭船数隻が、八雲に横付け
されると行われます。

 作業方法は、最初に総員を数班に分け、石炭船から八雲の
練炭置き場まで、一列に並びます。あとは、バケツリレーの要領
で、石炭を、手渡しで運んでいきます。山本氏は、列に加わらず、
八雲の、練炭置き場のどこに置くかを各列に指示して回るという
役割でした。

 練炭積みの作業は、総出でやっているので、休憩があるまで、
休むことが許されない仕事でした。列に加わっていない山本氏に
しても、順次コンベアのように送られてくる石炭の進行を各列ごとに
見ながら、どこまで積むかを指示する必要があるため、忙しさは変わり
ませんでした。

 この作業をすると、露出部は真っ黒になります。この点について、
山本氏は、黒い顔をしていたので、石炭積みによる汚れは、目立たな
かったと記しています。

(追記)
 八雲と同時期に就航した艦は、同じように練習艦として
利用されていました。八雲以外では、浅間、常磐(ときわ)、
磐手(いわて)、出雲の各艦がありました。

 この内、浅間は座礁と老朽化により校舎として使用し、
常磐は敷設艦に改造されたので、残りの3隻が練習艦と
なっています。

 上記の石炭積みの作業は、これらの艦は行っていました。
練習艦3隻のうち八雲のみ、終戦まで稼働できる状態で生き
残り、終戦後の兵員輸送に従事しています。


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