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長井分校での玉音放送 [駆逐艦秋月]

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 1945年8月14日に、明日重大発表があるので
全員集合の指示が出されました。ラジオの特設台
の前に教職員一同が整列しました。

 8月15日の正午、玉音が流れてきました。最初は
聞こえなかったものの、放送が進むと敗戦宣言で
あることがわかりました。山本氏は、負け戦ばかり
の2年間が、脳裏によぎりました。

 玉音放送の後、校長から、徹底抗戦の構えを見せて
いる部隊があるので、生徒が軽はずみな真似をしない
よう、教官は生徒と一緒に寝るようにという指示が出され
ました。

 しかし、この命令に従ったのは山本氏だけでした。
生徒達は、不穏な行動はおろか、物音一つ聞こえない
沈黙の世界でした。

 翌日、長井分校の終戦処理は、郷里に戻るということ
でした。商船学校の出身者は、本来なら元の学校に送還
すべきでしたが、交通事情で不可能でした。

 山本氏ら教官は、生徒を戻すことはできない旨のお侘びの
挨拶を、各商船学校にしてくるように命じられ、実施しています。

 挨拶が終わり長井分校に戻ると、生徒がいなくなった
学校は閑散としており、最後の生徒を、戦場に送らなくて
すんでほっとているように見えたと記しています。山本氏は、
8月下旬郷里に帰ることになりました。

(追記)
 山本氏は、海軍を去るとき奉職履歴を手渡されており、
「註 履歴書副本は大切に保存し、次回招集の際、携帯し
得らるる様なし置くこと」という判が押してありました。

 山本氏は、2度目の秋月の体験をしないで済むように
祈りますと締めています。

 山本氏は、この後、大阪商船に復帰し、海王丸や巡視船の
機関長を勤めています。


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