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相模湾での戦闘 [駆逐艦秋月]

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 1945年7月末に、長井分校校長が、全生徒を号令台の
前に整列させ、規律違反による懲罰申し渡しの儀式を行い
ました。

 校長は、号令台に立って、当該生徒を呼び出し、懲罰文を
厳かに読み上げるという、現在の学校でやったら新聞沙汰
になりそうな儀式でした。

 山本氏は、この日は当直士官だったため儀式には参加
していませんでした。式が始まる頃、B29が、学校近くの
相模湾の海面すれすれを飛んでいるという報告が
ありました。山本氏は、練兵所の端にある長井
分校の大砲まで向かいました。

 見ると、撃墜された搭乗員を救助するためにB29と
潜水艦が進行していました。山本氏は、こんな至近
距離なら攻撃すべきと考え、儀式は取りやめて
砲撃しろと伝令を飛ばしました。

 すると、砲術専門の教官がやってきて、この大砲は
撃つようになっておらず、弾もないとのことでした。

 山本氏は呆れましたが、そんな時、味方の旧式飛行機が
飛んできて、B29に向かって行きました。勇敢な行動ですが、
旧式機ではB29には対抗できず、撃墜されました。

 山本氏は、この様子の一部始終を見ていましたが、勇敢な
行動に心を打たれたと同時に、悲しい短編映画を見ている
ようだったと記しています。

 同時に、至近で味方が戦闘している時に、懲罰文を読み上げる
ような儀式を平気でやっている校長に、情けない思いをしていました。

(追記)
 長井分校の山側にある練兵場を隔てたところに桐の林が
あります。その林に一本の直線道路が伸びており、この
道路上を轟音を発しながら物体が疾走するのを見たと
いう話が教官の間で囁かれていました。

 新規の特攻兵器ではないかと噂されていましたが、分からず
じまいでした。

 戦後、山本氏は、これが日本最初のジェットエンジンを航空機
橘花(きっか)の試験していたものではないかと記しています。
橘花は、一部ドイツからの情報はあったものの、ほとんどが
国産開発だったジェット機です。

 終戦の頃は、航空機の技術的には遅れていたといわれますが、
ジェット機を開発する技術力はあったということを示しています。


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