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長井分校の嫌われ校長 [駆逐艦秋月]

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 山本氏が勤務している長井分校から200mくらいの
ところに、江田島の海軍兵学校の校長だった井上成美
(いのうえ  しげよし)大将が居を構えていました。

 長井分校の校長は、井上大将の薫陶を受けたのか、
真似をしていました。しかし、山本氏からみると井上大将
とは器量に差があり、教官の大半から嫌われていました。

 嫌われていた最も大きな原因は、空襲時の対応でした。
長井分校は、陸戦隊も兼務していますので、校長は、
陸戦隊の分隊長になり、教官が指揮に当たることに
なります。

 ところが、この校長は、空襲警報がなると防空壕にいち
早く逃げ込み、解除されるまで出てこないということでした。
典型的な敵前逃亡です。

 さらに、この人物は、1942年末から終戦まで、学校の
教官を勤めていますが、山本氏からすれば、海軍が敗戦
を重ねている時に、この学校に、「居座る」神経を疑っていま
した。

 このような人物のお諭しは、教官に届くはずもなく、
山本氏はおかしいと申し上げたら、「若いくせに生意気だ」
という返事が来ただけで、話にならないと判断しています。

 この後、山本氏をさらに呆れさせることを行っています。

(追記)
 井上成美大将は、海軍最後の大将といわれ、潔癖な人物
だったようで、海軍の軍人としては立派な人と言えます。
このせいで、海軍では嫌われることも多かったようです。

 一方で、名将かというと、疑問が出る人物です。新軍備
計画という戦略を立案していますが、主力艦同士の決戦は
起きないや陸上基航空地を優先するなど、戦略として破綻
しているといえます。

 上記の間違いは、珊瑚海海戦で司令官を勤めた時点で分かる
ことでしたが、その後も変更した形跡はありませんでした。


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