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駆逐艦五月雨、戦艦大和の対空戦闘 [駆逐艦五月雨]

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 1944年6月20日、午後5時30分に敵機が来襲し、
空に覆いかぶさってきました。艦長から「雷撃機に
気をつけろ」という命令が来ましたが、主力が集結
しているこの状況では、駆逐艦が狙われることは
まずありませんでした。

 実際攻撃は、空母と大和、武蔵などに集中していま
した。大和と武蔵の上空には、網の目のような弾幕が
張られ、急降下に移ろうとする敵機が次々と墜ちて
いきました。

 墜とされても、敵軍はひるむことなく突っ込んできました。
煙突を頂にして艦の首尾に向かって傾斜して備えられた
大和と武蔵の三連装機銃の撃ちまくる弾痕と、46cm主砲
の砲煙が屈せずに四散していました。

 この様子を見ていた須藤氏は、「攻撃と防御が、互いに
全力を尽くしあっている様子は充実感に満ちた見事なもの」
と、評しています。もっとも、これは、攻撃を受けていない
傍観者的な視点で、ものを見ているからでした。

 対空火器が少ない戦艦長門は、直撃をくらって、黒煙を
吐き、列を脱落していました。空母の1隻火災を起こして
おり、補給部隊も、弾幕が見えていました。

 そんなおり、雷撃機ばかり気にしていた五月雨に、機銃
掃射が迫り、慌てて取り舵をとりました。艦橋に、負傷者
1名の報告がありました。

(追記)
 戦艦大和は、大和型一番艦で艦これにも登録されています。
世界最大の戦艦として、日本海軍で最も有名な軍艦といえます。

 設計では、魚雷一本食っても戦闘力を維持し、二本受けても
手当てすれば戦列に復帰できるようになっていました(実際は、
これ以上の能力を発揮していました)。

 有名な艦ではあるものの、海軍が温存したことと、速力がなく、
機動部隊に随伴はできなかったことから活躍はあまりありません
でした。

 上記の通り、空母の随伴として使用していれば、無類の対空
能力を発揮できたと考えられます。


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