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駆逐艦五月雨、艦隊の帰還 [駆逐艦五月雨]

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 夕暮れになり、海上は暗さを増してきました。空母を
発進した艦載機は、敵の激しい対空砲火にさらされて、
戦果をあげられませんでした。対して、日本軍は多大
な被害を出していました。

 空母飛鷹は、雷撃を受け、傾斜したまま走っている
のか停止しているのかわからない状態に見えました。

 やがて、飛鷹は、誘爆をおこし、陽炎のように震えると
煙を吐き、火が赤々と輝いていましたが、ついに沈没
しました。艦隊は、沖縄の中城湾へ向かって移動を
開始しました。

 須藤氏は、そこへ集結し、補給の上、再興を計ろうとして
いるのかと考えていました。同時に、膨大な敵の揚陸した
サイパンはどうなるのかと考えていました。孤立した友軍が、
敵を防ぎえるのだろうかと考えていました。

 1944年6月22日午後3時30分に、五月雨は、沖縄の
中城湾に到着しました。一緒にいた艦隊は、内地へ帰還
するとのことでした。

 翌日、五月雨は、海戦で被弾した戦艦榛名と、僚艦の
時雨とともに、修理のため、桂島に向かって出港しました。

 6月24日に、「修理は佐世保で行うように」という命令を
受け、敵の潜水艦に注意をしながら、佐世保に向かいま
した。この頃は、内地付近も、潜水艦が跋扈しており、
艦船の移動には最大の注意が必要でした。

(追記)
 空母飛鷹は、飛鷹型一番艦で、艦これに登録されて
います。日本海軍とアメリカ海軍は、優秀は商船を
空母に改造するという考えを持っており、建造費を
海軍が補助した客船出雲丸を、空母に改造した
のが飛鷹です。

 艦橋一体型の傾斜煙突を採用した最初の空母となって
おり、艦載機数などは、蒼龍や飛龍に匹敵しました。
しかし、防御力や速力は正規に造られた空母には
及ばず、改造空母としての限界を示しています。

 姉妹艦の隼鷹と比較すると、あまり活躍の機会がなく、
上記の通り、マリアナ沖海戦で撃沈しました。


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