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まるゆ 安藤鉄工所の作業班長に転属 [陸軍潜航輸送艇まるゆ]

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 1944年11月末に、梶少尉は、日立製作所の
笠戸工場から、東京の安藤鉄工所の作業班長に
転属となりました。

 この転属において、梶少尉は、日立製作所の
笠戸工場で一緒に作業した隊員を、そっくり
連れて行っています。

 安藤鉄工所は、隅田川河口の三角州に東京湾を
臨んで建っていた小さな町工場でしたが、隣り合わ
せにあった都の空き地を使用する許可を得ており、
この空き地でまるゆを建造していました。

 安藤鉄工所は上記の通りでしたので、日立製作所
より話が通じやすくありがたかったようですが、埋立地
ということで、地盤がゆるく、浸水の際にしばしば立ち
往生しました。

 まるゆの建造についても、工場には陸軍からの応援も
含めて1000名になりましたが、熟練技術者や工員の
中に出征者がおり、指導員不足と素人ばかりの工程は
思うように進捗しませんでした。

 アメリカ軍の空襲を受け工事は遅延し、工場や倉庫も
やられるという事態になっています。これでも誰一人
戦死者は出ておらず、梶少尉の自慢となっています。

 結局この工場で建造されたまるゆは2隻にとどまって
います。

(追記)
 工場が破壊されたのは、東京大空襲があった、1945年
3月10日の東京大空襲の時でした。安藤鉄工所のあった
周辺も火の海となっています。

 各工場とも迷彩を施し、消火・防空設備を整えて待機して
いましたが、本格的な空軍の猛爆にはひとたまりもありま
せんでした。

 連日に及ぶ空襲のたびに、工員は避難する必要があり、
これも作業の効率を落とす要因となりました。梶少尉が、
戦死者を出さなかったと言っていることの重みがでて
きます。


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