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まるゆ 陸軍と海軍の搭乗員5人を救助 [陸軍潜航輸送艇まるゆ]

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 長崎の口之津を基地としていた松岡中佐が指揮する
まるゆ十号艇は、1945年7月頃、南西諸島へ物資
補給のため南下していました。しかし途中で、大型の
暴風雨に遭遇し、艇員全員が体力を消耗してしまい
ました。

 そこで、近くにあった島に寄港しました。この島は、
鹿児島県の南西60kmほどのところにある黒島で、
女性と子供、老人が200人くらい住んでいた島
でした。

 ところが、ここに、陸軍と海軍の搭乗員が5名ほど
おり、助けを求めていました。黒島は、沖縄へ向かう
特攻機の空路の基点であったため、不調の特攻機が、
付近に落ちてきていました。

 この頃は、陸軍も海軍も、すでに引退して練習機に
なっているようなオンボロ飛行機行機で特攻を命じて
おり、不調の機体があるのは当然といえました。

 十号艇は、任務である輸送があるので、帰りに立ち
寄って収容すると約束し、2週間後約束通り、陸軍と
海軍の搭乗員5人を救助しています。

 しかし、やけどを負っている搭乗員がいたものの、
まるゆにロクな薬はなく手当は不十分でした。

 助かった海軍の搭乗員は、陸軍が潜水艦を持っている
ことに興味を持ちましたが、安定性の悪さで、船酔いに
苦しめられることになり、「助けてもらって文句を言う
のも何ですが、七転八倒の苦しみだった」と述懐して
います。

(追記)
 まるゆ十号艇は、黒島で5人の搭乗員以外に、遺体と
なって漂着していた海軍兵の遺骨二十体分を受け取って
います。

 これは、島民の話では、大和の乗組員たちで、黒潮に
乗って黒島へ流れてきたとのことでした。

 大和が沖縄に向かう時に遭遇した岡田教官といい、この
まるゆ十号艇といい、まるゆと大和の間には、因縁のような
ものがあります。


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