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駆逐艦照月 大阪へ行く [駆逐艦照月]

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 1944年に入り、マーシャル群島を失い、マリアナ沖
海戦で敗北しました。

 マリアナ沖海戦の時、海軍省では、灯火管制が敷かれ
ていたので、高戸氏は、ロウソクの炎の前で、戦果を待ち
続けていました。そこに、敗北の知らせが来たので、声も
なくロウソクの炎を消していまいた。

 サイパン島の玉砕が伝えられた時、東條内閣は総辞職し、
小磯・米内内閣が誕生しました。米内海相の後釜になった、
井上成美大将は、密かに高木惣吉少将に終戦工作の密命を
出していました。

 10月25日に、レイテ沖海戦に敗れ、11月になると
東京空襲が始まりました。この頃になると、本土決戦が
現実味を帯びてきました。

 これを受けて、地方に総監府が作られることになり、
海軍もこの方針を受けて、機関を作ることになり
ました。

 この機関には、二年現役士官が配属されることになり、
高戸氏は、大阪へ行くことになりました。高戸氏の
家族は、この頃には、信州に疎開させていたので、
大阪には単身赴任ということになりました。

(追記)
 高戸氏ら二年現役士官の人たちは、このままでは国家が
ダメになるということで、国家を救うには東條内閣を倒す
しかないという謀議をしていました。行動を起こす前に、
上記の通り、各地に散ることになりました。

 この頃には、軍によって抑圧されていた思想家の人達は、
このままでは、日本民族が滅ぶとしており、終戦に持ち
込まなければならないということを話していました。

 高戸氏は、仕事がらこのような主張も聞いており、共感
していたようです。実態を知っていた人達は、軍も恐れ
なくなっており、かつて右翼に困っていると言っていた
姿はなく、知識人の真骨頂が現れていました。


紹介書籍:海軍主計大尉の太平洋戦争(駆逐艦照月)


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