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戦艦比叡 宇垣参謀長の思惑 [戦艦比叡]

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 宇垣参謀長は、黒島先任参謀の意見は、目先しか
見ていないという思いでした。

 同時に、前線にいる中将(阿部司令官)が、処分したい
といっているなら、上長は、それを受けて自分の責任で
命じる心構えが必要と考えていました。

 そもそも、比叡を沈んだことと考えて、行動せよと
いうのは、宇垣参謀長にとっては論外だったといえ
ます。山本長官が、処分するなという決定をした以上、
従うしかないものの、承服しがたいと考えていました。

 宇垣参謀長が、頑張るのはもう一つわけがありました。
比叡による飛行場砲撃は、天皇陛下に奏上して、
申し上げていました。

 その際、天皇陛下から、「日露戦争の例もあるので、
注意を要する」とのお言葉がありました。

 日露戦争の例とは、旅順港を封鎖するために、警戒
行動をとっていた時、敵の機雷に触れて、戦艦初瀬と
八島が一挙に沈没したことを指しています。戦艦は、
艦隊決戦に不可欠の艦なので、痛い損害となりました。

 この損害は、警戒コースが、いつも同じであったことで、
敵に見抜かれ、進路上に機雷を敷設されたことで起きて
います。

 どんなに合理的な作戦でも、同じことを二度続けて
やるのは、墓穴を掘るも同然ということを示しています。
ミッドウェー海戦にせよ、この砲撃にせよ、日本軍は、
同じような失敗を繰り返しているといえます。

(追記)
 宇垣参謀長は、10月13日の日記に、「陛下の
ご注意に答えられず、今日の戦艦の価値如何の
問題にあらずして、誠に申しわけなき次第なり」と
記しています。

 宇垣参謀長は、この作戦全体に対して、懸念を
持っていたようで、黒島先任参謀のような、目先
しか見ていない作戦を取ることに対して、腹に
すえかねていたようです。


紹介書籍:戦艦「比叡」 高速戦艦 悲劇の生涯


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