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戦艦比叡 西田艦長の誤認 [戦艦比叡]

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 西田艦長は、最後の望みをかけた遮防作業は、不成功に
終わりました。舵柄室が水没しているので、ここから水を
かき出せれば舵が使えるようになるので、応急舵をつける
よりはるかに有効でした。

 本来なら、水面より上にあった穴が、魚雷で艦が傾いたことで
水面下になり、水をかき出すことは不可能となりました。通常、
浸水個所は閉鎖しておけば問題ありませんが、比叡は、閉鎖
するわけにはいかない舵柄室が浸水したことで問題が複雑化
しました。

 鉄板を当てて溶接すれば何とかなりましたが、戦場では
不可能な作業でした。、西田艦長は万策が尽きたと感じま
した。

 しかしながら、これは西田艦長の誤認でした。魚雷は命中し、
バジルに穴をあけたことで艦は傾いてはいたものの、それ以上の
被害はありませんでした。魚雷は不発だったようです。しかし、
このことを西田艦長は知らなかったようです。

 阿部司令官も、魚雷は2発命中したと認識していたようで、
ここでも食い違いが生じています。さらに最大の誤認が、
「機関全滅」の報告でした。比叡の機関の一つは火災を
起こしていましたが、これは鎮火しました。

 他の機関は全く問題なく稼働していました。「機関全滅」という
報告は、上甲板にいた誰かの早とちりだったことになります。この
誤報は最後まで訂正されず、西田艦長は、機関が全滅したという
前提で判断を下していたことになります。

(追記)
 西田艦長の最大の不幸は、艦橋に命中した敵弾のため、
阿部司令官、副艦長、先任参謀等が、死亡または負傷し、
補佐役がいなかったことです。艦長は、報告を受ける必要が
あるため、動き回ることはできませんでした。

 本来なら、副長や参謀に、艦の様子を確認せよという命令を
下させたはずであり、そうすれば、機関が生きていることは、即
分かったはずです。艦長も一人では何もできないということを
しめしています。


紹介書籍:戦艦「比叡」 高速戦艦 悲劇の生涯


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