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戦艦比叡 第三次ソロモン海戦の結末 [戦艦比叡]

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 著者の吉田氏は、あとがきに、比叡が沈んだ後の
第三次ソロモン海戦のことを記載しています。

 比叡の後を追って、巡洋艦の鈴谷と摩耶が、飛行場
への艦砲射撃を行いました。これは、金剛と榛名が
飛行場に砲撃を行う前に、六戦隊が敵戦力を引き
揚げさせたことで、砲撃を成功させたことと同じ
でした。

 比叡らが、敵艦隊を引き揚げさせたために成功しま
した。しかし、戦艦の36cm砲と、巡洋艦の20cm砲
では、威力が違うので、金剛隊ほど戦果を与えられま
せんでした。

 この作戦は、飛行場を破壊することで、空襲をなくし、
その間に11隻の輸送船を上陸させることにありました。

 比叡らの砲撃ができなかったことで、全体の計画が
狂い、敵機が跋扈する海域を、低速の輸送船が航行
するということになり、暴挙といえます。敵機の襲撃を
受け、11隻の輸送船は4隻に減ってしまいました。

 輸送船団は引き返しましたが、これでは計画は
すべて水泡になるので、連合艦隊司令部は、
輸送船団に突撃せよの命令をしています。
ここで、近藤中将は、果敢に突撃しています。

 敵が準備した40cm砲を持つ戦艦2隻を擁する艦隊と
砲撃戦を演じ、霧島と駆逐艦綾波が撃沈したものの、
輸送船4隻は無事上陸を成功させました。

 翌朝、攻撃を受け4隻とも火災を起こしたものの、
陸兵2000人や物資を上陸させることができて
います。

 第三次ソロモン海戦は、戦艦比叡と霧島、重巡洋艦
衣笠、駆逐艦暁、夕立、綾波が撃沈するという激戦に
なりました。

(追記)
 吉田氏は、著書を書く上で、軍機の資料も使用して
調査していますが、それらの資料も事実を記していない
事を知り驚いたとしています。

 これは、失敗をおこした部下をかばうためにあえて
ウソの報告をした上官がいたためでした。吉田氏は、
私人としては立派ではあるものの、公人として歴史を
残すためには、厳正に記録しなければならないと
しています。


紹介書籍:戦艦「比叡」 高速戦艦 悲劇の生涯


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