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戦艦比叡沈没 [戦艦比叡]

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 比叡の機関の真相を知った西田艦長の顔に、脂汗が
光っていました。その時、、発射用意の号令が艦内に
響きました。

 西田艦長は飛び上り、「待て」と叫ぶなり出口に突進
していきました。しかし、部屋を出た瞬間、魚雷の発射音に
続き、魚雷が水面に飛び込む腹にしみるような音が
聞こえてきました。

 西田艦長は、部屋に戻り、「だまされた」と一言吐き
捨てていました。

 比叡は、この夜に行われる第二次攻撃隊と混交するのを
避けるために、警戒の駆逐艦が西へ避けた瞬間に、ひっそり
沈むことになりました。これ以上、看取られるのを拒否するかの
ような姿でした。

 西田艦長は、自決を恐れた乗員らによって、監視つきで
駆逐艦艦長室にいました。西田艦長は、機関大尉が
当直(監視)についた時、「査問会が開かれる前に、
自決するようなことはしないから安心して休め」と
言っています。

 西田艦長は、艦から降りて生きながらえた以上、自殺するのは
卑怯な振る舞いだと考えていました。査問会に報告し、罪と判断
されたら、潔く服すると考えていました。

 しかし、西田艦長が想定した査問会は開かれることなく、
阿部司令官共々、予備役になりました。西田艦長は、予備役
編入即日、南支占領地の在勤武官を命じられています。

 この後、西田艦長が、戦争中活躍することはなく、終戦を
迎えています。

(追記)
 上記の人事を、偶然上京していて知った黒島先任参謀は
理不尽さに海軍省人事局にすごい剣幕で怒鳴りこんだという
話があります。

 比叡を失ったのは、西田艦長に責任はないとは言え
ないものの、新たな艦を与えて、活躍させるような場を
与えなかった人事部の態度は疑問が残ります。


紹介書籍:戦艦「比叡」 高速戦艦 悲劇の生涯


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