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戦艦比叡 西田艦長真相を知る [戦艦比叡]

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 阿部司令官の思惑を知らない、3人は、艦長を助け
られると考え、勇躍しました。そこで、艦長は、報告が
終わったら比叡に帰してくれるか確認してくるだろうと
考えそのことも確認しました。

 返答は、「帰す」でした。この言質を得た3人は、
飛ぶように比叡に急ぎました。西田艦長は、3人の
大尉に守られるように雪風に来ました。

 勇躍して向かって言った3人は、目を赤くし、自己嫌悪に
陥ったようにしょげていました(以前、雪風で紹介しました
通り、無理やり引きづり出したようです)。

 西田艦長から比叡の状況を聞いた阿部司令官は、
すぐに処分の許可を得るべく、連合艦隊司令部の
電文を発信しました。この後、しばらくして、「処分
するな」の命令が来たものの、阿部司令官は、
現状の状況から雷撃処分を決めていました。

 このころ、西田艦長は、落ち着いたようで、連れ出した
3人の大尉も胸をなでおろしました。その時、ふと西田
艦長が機関大尉に、「機関の状況はどうだったのか」
と尋ねてきました。

 機関大尉は、「異常ありません。全力発揮可能です。」と
返答しました。西田艦長の顔色が変わりました。「機関全滅と
いうのはどうしんだ」と尋ねました。機関大尉は、それこそ
初耳であり、驚いていました。

 艦長は、続けて、「魚雷による被害はどうだったのか」と
尋ねました。機関大尉は、「缶室に火災が発生しましたが、
鎮火いたしました。機関室に異常はありません。」と答えて
います。西田艦長は、椅子に倒れ込んでしまいました。

 全力発揮できる機関があるにもかかわらず、
キングストン弁を開いて、比叡を自ら沈めてしまった
ことに対し、自分のウツケぶりに落胆していました。

 機関が全力発揮可能であれば、打つ手はありました。


紹介書籍:戦艦「比叡」 高速戦艦 悲劇の生涯


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