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駆逐艦野分 筑摩被雷 [駆逐艦野分]

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 レイテ沖海戦について、野分に関係しそうなことを
概要のみ示します。

 栗田艦隊が、一度反転した時、ハルゼー提督は、
北方にいた小沢機動部隊を撃破すべく、艦隊を
引き連れて進撃しました。小沢機動部隊の囮に
釣られたとうことで、日本海軍の思惑通りという
ことになります。

 このため、機動部隊がいないレイテ湾東方海域で、
砲撃戦が展開されることになります。これが
サマール沖海戦で、この時期では、起こる
ことが奇跡に近い海戦でした。

 日本海軍は、進撃中に撃沈していた愛宕、摩耶、
武蔵の無念をはらすとばかりに、全軍突撃を敢行
しています。この攻撃で、敵空母「ガンビアベイ」を
撃沈しています。

 この海戦中、巡洋艦筑摩が、敵の艦載機により雷撃を
受け、1本が命中し、大火柱と火炎が立ち上がり、後甲板に
あった機銃が吹き飛ぶ姿を、巡洋艦利根から遠望できました。
これにより、筑摩は、速力が落ち、艦隊から落伍しました。

 この時、野分は、雪風、磯風、浦風が所属する第十七
駆逐隊と行動を共にしていました(十七駆逐隊のもう一隻
浜風は、この時落伍していました)。以前磯風を紹介した
著書の井上氏は、この時、野分は十七駆逐隊に所属と
なったとしています。

 これが悲劇につながったとも言えます。

(追記)
 上記のハルゼ―提督の行動は、後に批判の対象と
なっています。輸送部隊を率いていたリー司令官は、
ハルゼー提督にこのようなことが起こることを、意見具申
していましたが無視され、サマール沖海戦のような珍事が
発生することになりました。

 ハルゼー提督は、猪突猛進型で、思いたたら即行動
というタイプの人でした。そのため、ハルゼー提督の行動に
意表を突かれて、日本軍は苦戦したといえますが、この時は、
逆に仇となったといえます。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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