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駆逐艦野分 栗田艦隊の謎の反転 [駆逐艦野分]

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 筑摩が落伍した時、旗艦大和から、「水雷戦隊は、
続航せよ」という指令を受けています。野分は、
十七駆逐隊の後ろに続きました。

 航海の途中、十七駆逐隊(野分も含めます)は、
敵駆逐隊と遭遇し、砲雷撃戦により、敵駆逐艦を
撃沈しています。佐藤氏は、このことを、磯風にいた
一期先輩の水雷長から聞いていました。

 この戦闘については、アメリカ軍にも同様の報告が
あり、十七駆逐隊が、駆逐艦を撃沈したのは確実の
ようでした。この後、敵が退避したので、戦闘は中止し、
レイテ湾へ進撃を開始しました。

 その後、筑摩から、「我、出し得る速度9ノット。いずれに
向かうべきや」という電報が来ました。筑摩の通信について
いたのは、佐藤氏の同期生でしたが、同期生ならこのような
通信を打つはずはないので、この時筑摩は、主要な幹部は
戦死していたのではないかとしています。

 栗田艦隊は、目的地を返信し、筑摩からの返答を
待ちましたが、返答はありませんでした。そのため、
野分に筑摩の救助命令を出したということになります。

 野分派遣の約2時間後、後世で「栗田艦隊の謎の反転」と
いわれる艦隊の反転が起こりました。この行為は、救助に
向かった野分らを置き去りにして、避退したことに
なりました。

(追記)
 雪風の紹介をしていた、雪風航海長の
田口康生氏は、佐藤氏とは同期で、
親友同士だったようです。

 田口氏も、戦艦榛名から雪風に移ってきており、
時期も、佐藤氏とほぼ同じでした。

 後に、田口氏から、この時、野分は、雪風に着いて
きていたと聞かされています。雪風は、直前まで
野分と一緒に行動していたので、野分の最期に
ついて、田口氏の証言も参考にしています。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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