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駆逐艦野分 行方不明の真相 [駆逐艦野分]

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 栗田艦隊が、謎の反転をしたことで、戦場に取り
残された艦は、悲惨な結果になっています。

 栗田長官は、各艦宛に電報を発して、現在地点と
行動予定の報告、及び、被弾した艦は極力自力航行し、
見込みのない艦は処分し、乗員を収容の上、コロン湾に
帰投するように下命しています。

 この電報に対し、鳥海を護衛していた藤波(夕雲型
駆逐艦)と、鈴谷の乗員を収容していた沖波(夕雲型
駆逐艦)からは返答があったものの、野分、早霜(夕雲型
駆逐艦)、秋霜(夕雲型駆逐艦)は、報告がなく、行方不明と
なっています。

 記録を調べると、筑摩の救助は、雪風に命じられた
ようですが、途中で野分と交代するようにと言われて、
交代したということを、雪風航海長の田口氏は残して
います(以前、雪風の中で紹介しています)。

 このことを、佐藤氏が、田口氏に直接確認したところ、
この交代は、十七駆逐隊司令の意向ということでした。
これは、司令は、十七駆逐隊の3隻を残すために、
野分に命じたということになるのではないかとして
います。

 第四駆逐隊が、バラバラになり、野分のみ、十七
駆逐隊に付属するような形になったことが、悲劇
だったといえます。だとすれば、野分の乗員は
浮かばれないとしています。

(追記)
 上記の点については、別の説明もできるとしています。

 艦隊を主導していた主席参謀が、部隊編成に、
旧友である野分の守屋艦長を指名したため、
野分のみ、短艦での出撃になったということ
でした。

 筑摩の救助も、危険を伴うので、帰心の知れた
野分に頼んだということではないかとしています。
この通りならば、野分は、駆逐艦司令ではなく、
艦隊司令部の意向で動いたことになり、納得が
いくとしています。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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