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筑摩を助けに行った野分の状況 [駆逐艦野分]

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 佐藤氏は、当初、栗田長官の反転は批判的でした。
しかし、この海戦を調べるうちに、この状況で反転しても、
非難はできないと思えるようになったとしています。

 航空機の支援のない海域を、他の艦隊との通信も
不通で状況も分からないとなると、戦闘目的を
放棄して退避することも自然だとしています。

 この時、突入していれば、戦場に戻ってきたハルゼ―
艦隊と鉢合わせすることになり、レーダー射撃で
全滅したと思われます。退避したことで、野分が
この艦隊につかまり、撃沈されることになりました。

 筑摩を助けに行った野分の状況は、筑摩で一人だけ
助かった方が証言しています。野分は、危険をかえり
みずに、海に漂流していた筑摩の乗員を救助していた
としています。

 助かったこの方は、軍人なら死ぬべきと考えたらしく、
野分とは逆方向に泳ぎ、皮肉にもアメリカ軍に救助
されたため、唯一の生存者となったということです。

(追記)
 退却における殿(しんがり)は、最も重要な役割です。
敵は、勢いづいて攻撃してくるので、本体を逃がすために
踏ん張るのはかなり危険な任務といえます。

 この時、救助のための要員を後方に配置しておけば、
殿で戦っている部隊は、けが人の収容ができるので、
安心して戦えます。

 この戦いでも同じことが言え、栗田長官も、野分らに
救助を命じていたなら、巡洋艦クラスを、2~3時間
海峡の入り口に待たせ、収容してきた駆逐艦から
移乗できるようにすべきだたっといえます。

 佐藤氏も、反転については同情できても、野分を
置き去りにしたことは、許せないようです。駆逐艦の
ような小型艦は、犠牲になっていたとしています。

 戦後、栄光の艦隊として、大型艦が放映される
たびに、駆逐艦乗りだった佐藤氏は、違和感を
感じるとしています。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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