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駆逐艦野分 アメリカ軍の動き [駆逐艦野分]

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 野分が筑摩の救助をしていた頃、アメリカ軍も
合理的とは言えない行動をしていました。

 ハルゼー提督が、意見具申を無視してまで、
囮の空母部隊に突進していたは、この機動部隊に
いた戦艦の伊勢と日向を、砲撃戦でしとめようとして
いたためでした。

 航空機が主流になったこの頃に、時代錯誤とも
言えますが、アメリカ海軍は、日露戦争でバルチック
艦隊を完膚なきまでに打ち破った東郷元帥に憧れを
もっており、艦隊戦で戦艦を沈めることに、一種の
こだわりがあったようです。

 これは、冷静沈着といわれるスプルーアンス提督も
持っていたようなので、ハルゼー提督が異常という
わけではありませんでした。

 戦後に、この判断誤りを自ら認めており、その点では、
日本軍の将兵よりはマシといえます(もっとも、かなりの
言い訳はしており、沈黙を守った栗田司令官と比較すると、
潔いとは言えません)。

 ハワイにいたニミッツ長官は、通信状況から、レイテ沖
海戦の全容をしっかり把握しており、サマール沖海戦で
日本海軍と闘っている部隊に対し、行動するよう促して
います。

 アメリカ軍は、リー司令官が、6隻の戦艦で、行動を
起こし、12時に燃料補給をしています。この頃に、
野分に筑摩救助の命令が下ることになります。

(追記)
 上記の点について、佐藤氏は、いくつかのIfを
提示しています。

 燃料補給をせずに突進していれば、栗田艦隊と
会敵しただろうとしています。そうなると、数からいっても、
栗田艦隊に勝機はなく、全滅しただろうとしています。

 スプルーアンス提督が、この海戦も指揮していた場合、
囮艦隊に見向きもしなかった可能性があり、サマール沖の
戦闘で、栗田艦隊は、全滅していただろうとしています。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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