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駆逐艦野分の最期 [駆逐艦野分]

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 アメリカ軍は、補給が完了後、戦艦2隻と、
軽巡洋艦8隻、駆逐艦を分けて、臨時編成
しました。

 そして、この艦隊を先行させ、その後ろに、
ハルゼー提督の旗艦ニュージャージーが続き、
残りの戦艦4隻が、後方に控えて航海して
いきました。

 これは、夜間に、栗田艦隊と鉢合わせし、砲撃戦を
することが予想されたための編成でした。この艦隊を
編成したリー司令官も、砲撃戦を再現したいという
望みを持っていたと考えられます。

 空母部隊は、サルベジノ海峡を封鎖する形で待機し、
出てくる艦を撃滅するように命じられました。しかしながら、
この部隊が待機する3時間前に、栗田艦隊は、すでに
サルベジノ海峡を越えており、接敵することはありません
でした。

 アメリカ軍は、艦隊から落伍した艦を一隻仕留めただけ
でした。この一隻が、野分でした。野分の最期については、
ハルゼ―提督自身が、自分の伝記で記述しています。

 「ニュージャージーの艦橋から一隻の落伍艦を見つけた。
巡洋艦群は、一斉にその落伍艦に砲撃し、駆逐艦が魚雷で
とどめを刺した。魚雷は、火薬庫に引火したようで、30km
離れたニュージャージーの艦橋からも確認できた。」として
います。

(追記)
 ハルゼー提督をはじめ、この時アメリカ軍の将兵は、
この落伍艦の艦種が分からず、戦艦から駆逐艦まで、
各艦長ごとにバラバラでした。そのため、間をとって
巡洋艦として報告しています。

 戦果を自分の都合のいいように大きく報告することは、
アメリカでも行われており、これくらいの誤報はあり得ると
いえます。

 佐藤氏は、落伍艦というのは失礼は言い方だとして
いますが、夜間に、1隻のみで航行していたことで、
誤解されても仕方ないとしています。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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