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駆逐艦野分 終戦処理 [駆逐艦野分]

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 終戦になり、小沢長官の統率力により、海軍の解体が
始まりました。最初は、航空機から復員が開始されました。
極寒のロシアに配属された佐藤氏の同期生は、食もなく
苦労したということでした。

 残った駆逐艦には、海外の残された軍人や一般人を
復員させるという業務が待っていました。一部大型艦も
当たりましたが、この当時残っており、動くことができた
のは、大半は、駆逐艦以下の水上艇のみでした。

 佐藤氏は、終戦時は、駆逐艦桐に乗艦しており、終戦と
同時に武装解除し、関係書類を焼却処分しています。
呉に戻るときは、爆雷を漁場に投げ込んで、鯛を取る
ということをしていました。

 終戦となり残された遺族に対して、紙に「英霊」とだけ
書かれて届けられました。遺髪も遺品もなく、肉親の死を
紙一枚で認めなければならない無念さは、やるせないと
いえます。

 この紙を受け取った人は、「早い時期に戦死した人は、
村葬をしてもらい、大事にしてもらっていたのに、同じ
国のために散ったのに、遺骨の出迎えすら禁じられた。
国のために奉公させたが、今は年金より、肉親を返して
ほしい。」という言葉を残しています。

 無意味の戦争を継続した人達の責任は、重大だと
改めて思います。

(追記)
 佐藤氏は、あとがきで、歴史は繰り返すといわれるが、
歴史教育の欠如がしているからだとしています。さらに、
戦時中も、この本を書いているバブル経済崩壊時も、
上層部が、真実を隠すために嘘をつくという体質が
変わっていないとしています。

 かつての戦争については、GHQによる東京裁判以外、
まともに検証されているとは言えない状態です。日本人の
手で、国土を焦土にした戦争がなぜ始まり、継続したのか、
その責任は誰にあったかを、今からでも明確にしていくべき
といえます。

 これがないと、戦争の歴史を繰り返すことになります。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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