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駆逐艦野分 終戦 [駆逐艦野分]

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 海軍総隊に、小沢中将がついた後も、尊い犠牲を
払いながら、戦局は悪化していきました。

 結果的に、戦闘は本土防衛ということになったため、
国土の焦土化が進んだことになります。結局、原爆が
使用されたことで、継戦能力がなくなったことをようやく
自覚し、昭和天皇の御聖断となりました。

 ニミッツ長官は、ただちに、全艦艇に攻撃行動の
即時停止の電報を発しました。ハルゼ―提督は、
駿河湾に入っています。

 ハルゼー提督は、1908年に、ザ・グレート・ホワイト
艦隊の一員として、日本を訪れています。これは、
アメリカの国力を示す示威行為ですが、この時は、
アメリカ側も、迎える日本側も最大級の配慮をして
います。

 この時、東郷元帥の英語のスピーチを、当時少尉だった
ニミッツ長官とハルゼー提督は聞いています。ハルゼ―提督は、
ミッドウェー海戦前に行われたドウーリトル爆撃機を率いて
日本を初爆撃し、その後2年半かけて、焦土作戦を実行した
ことになります。

 世界最強と言われた日本海軍は、ニミッツ長官の戦略と、
ハルゼー&スプルーアンス両提督の前に敗れ去ったといえ
ます。

(追記)
 アメリカが、広島と長崎に原爆を投下したことについて、
日本国内では非難があるようですが、していなければ、
アメリカは11月に鹿児島、翌年の3月二本州に上陸
するつもりでした。

 当然、ソ連も参戦しているので、日本は完全に滅んで
いたといえます。原爆が終戦を早め、日本が滅ぶのを
防いだというのは事実であり、この点については
アメリカに感謝しなければならないといえます。

 原爆投下を感謝しなければならないような状況に、
日本を追い込んだ当時の指導部の罪は、許せるもの
ではありません。


紹介書籍:駆逐艦「野分」物語


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