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航空巡洋艦利根、筑摩 ガンビア・ベイ撃沈 [航空巡洋艦利根、筑摩]

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 空母まで7kmまで近づいた利根は、ここぞとばかりに
砲撃を開始しました。負傷した黛艦長は、艦橋内で
軍医の治療を受け、杖をつきながら指揮をとって
いました。

 アメリカ軍の記録では、この時の空母は、ガンビア・ベイで、
初弾命中が8時10分となっています。この命中弾により、
速力が大幅に低下しています。この後も、1分おきに
命中弾を食らったようで、8時50分には、総員退去を
命じています。

 空母に命中弾を当てた艦は、近くにいた金剛や大和、
利根と一緒に突撃していた羽黒も当てたと主張していま
すが、もっとも当てたのは利根だったようです。

 この空母を沈めたのは、利根だと利根乗員は考えて
おり、日本軍の記録でも、利根となっています。

 傾斜しながら沈んでいくガンビア・ベイの有様を、
見張り員が拡声器で全艦に知らせると、歓声が
利根を包みました。

 黛艦長が負傷し、2名の死者と3名の重傷者を
出しながらの戦果でした。アメリカ軍の記録では、
沈没は9時11分となっています。

 巡洋艦が、砲撃戦で空母を沈めるという戦果が、
サマール沖海戦を、世界海戦でも指折りの珍事と
言われた所以と言えます。、

(追記)
 ガンビア・ベイが沈没しても、戦闘が終わったわけで
はないので、ガンビア・ベイから退艦した乗員は、
戦場の真っ只中で漂流することになりました。

 この時、日本軍の巡洋艦が近くを通りすぎましたが、
日本兵が、「気をつけ」の姿勢をとっていたと証言して
います。この時通過した巡洋艦は、状況から考えて
利根だと思われます。

 ガンビア・ベイは、800名ほどが退艦し、救助された
のは10月29日で、700名ほどでした。

 後に、生き残ったガンビア・ベイの乗員の証言が
まとめられ、ガンビア・ベイの活躍と同時に、利根の
奮闘も明らかになりました。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


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