SSブログ

航空巡洋艦利根、筑摩 利根最後の戦い [航空巡洋艦利根、筑摩]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 1945年7月28日の空襲で、利根は全門開いて
応戦しました。しかし、左舷艦橋横に被弾し、
岡田艦長は、大振動で倒れ、手すりに
つかまって体を支えました。

 利根は、この他多数の至近弾を浴びて、
浸水がひどくなりました。

 大淀はさらにひどく、右舷に多数の直撃と
至近弾を受け、大火災となり、総員退去を
命じています。夜半になり、大淀は、横転
してしまいました。

 江田島兵学校では、利根と大淀の負傷者が
多数運び込まれ治療を受けていました。ここに
運び込まれる負傷者の中には、生徒の先輩に
あたり、親しくしていた人も混じっていました。

 目の前に親しい先輩が、重傷をおって助から
ない状態で横たわり、見かけた後輩に、苦しみたく
ないから軍刀で首を跳ねてくれと、頼まれた生徒も
いました。

 利根は、28日の戦闘は耐えたものの、翌日の
29日になり、左舷からの浸水が激しくなり、
岡田艦長は、右舷に注水することで、復元を
図っていました。しかし、利根の傾きは直らず、
傾斜したまま着底しました。

 上甲板は、波が洗う始末となり、利根は完全に
戦闘能力を失いました。真珠湾攻撃から、空母の
目として活躍した利根型巡洋艦一番艦利根は、
二番艦筑摩に遅れること9か月で、除籍となりました。

 利根は、戦闘能力を失っても、8門の20cm主砲は
天を指し、砲撃の姿勢を示していました。利根の執念と、
天を仰いで慟哭する、日本海軍最期の姿でした。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。