SSブログ

航空巡洋艦利根、筑摩 呉での奮闘 [航空巡洋艦利根、筑摩]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 1945年7月24日午前7時、大淀の電探は、
敵の大編隊を探知しました。大淀は、長10cm
新型高角砲8門を振り立てて対空戦闘を開始
しました。

 敵の一番機を撃墜するなどの奮戦をしましたが、
第二波の攻撃時に、直撃弾を食らいました。

 利根は、三式弾を炸裂させ、数機を火だるまに
しながら、江田島内に叩き落としていました。これを
見ていた江田島兵学校の生徒は、喝采をあげて
いました。

 一方で、動けない利根は、直撃弾を数発浴び、
損傷が激しくなってきました。この日、七次の攻撃を
受け、午後4時30分に空襲は終わりました。

 岡田艦長が、利根の前に艦長を務めていた磐手は、
この日の空襲が元で、7月26日に撃沈しています。

 江田島兵学校は、大淀と利根に対し、防火隊を
組織して派遣し、利根と大淀の消火に努めていま
した。大淀の火災はなかなか消えず、2日かかり
ましたが、沈没と転覆を免れました。

 7月27日にも空襲があり、利根は、さらに被弾し、
火災を発生させましたが、防火隊により鎮火して
います。そして、利根にとって最後の戦闘となる
7月28日の空襲が始まりました。

(追記)
 軽巡洋艦大淀は、艦これに登録されている特殊な
巡洋艦です。

 当初は、潜水戦隊の旗艦として計画され、高角砲
のみを積むという予定でしたが、最上の改装により、
あまった15.5cm砲を利用することになりました。

 通信能力の高さを買われ、一時、連合艦隊の旗艦を
努めたことがあります。

 大淀は、天一号作戦に参加することも検討されましたが、
機関の破損により、呉に停泊することになっています。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。