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戦艦金剛 浮田砲術長の淡い感傷 [戦艦金剛]

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 1942年10月11日午前3時40分、金剛を
旗艦とする「挺身攻撃隊」は、ガダルカナル島
砲撃の命を受け、トラック泊地を出発しました。

 トラック環礁を抜けた後、敵潜水艦をまくため、
いったん北上しました。

 午前8時になり、頃合いよしと見て、攻撃隊は
ソロモン群島に向かいました。ソロモンに着くまで、
訓練が行われました。

 浮田砲術長の、「合戦準備。昼戦に備え。」
「配置につ付け」の命令で、金剛の主砲が旋回
しました。

 訓練の様子を見ていた浮田砲術長は、敵の
戦艦と砲撃戦を行って被弾するなら本望といえる
ものの、ソロモンに着く前に、航空攻撃で被害を
被った場合、部下に何と言えばいいのかと、
淡い感傷に襲われていました。

 浮田砲術長は、厳しい分隊長として有名でしたが、
その分、部下思いでもありました。射撃指揮所には、
20名くらいの兵員が務めており、一体感を持って
いました。

 浮田砲術長は、志願して入隊した17歳の新兵に
対して、「固くなるな。睡眠をとれるときはよく眠って
おけ」という言葉をかけています。

 射撃指揮所に勤務する新兵にとって、砲術長は
神様のような存在なので、言葉をかけられるだけで、
緊張するものです。浮田砲術長は、気を遣っていたと
いえます。

(追記)
 射撃指揮所には、18センチ双眼鏡があり、これを
使用して、敵艦に対する監視を行うことは、砲術長の
役目でした。

 18センチ双眼鏡は、倍率35倍以上で、40km先の
戦艦マストを確認することができました。戦闘中は、
砲弾の落ちた位置が、敵の前方か遠方を確認し、
砲撃位置の調整をするために使用していました。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


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