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重巡洋艦鳥海 重巡洋艦青葉の活躍 [重巡洋艦鳥海]

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 マニラの湾口についたものの、マニラは敵機の空襲で
入港できなかったので、バターン半島の島陰に隠れて
過ごしました。この時、船体は左に傾斜し、上甲板は、
三番砲塔から艦尾まで水没していました。

 10月25日に、汽船に曳航されてキャビテ軍港沖に
到着し、応急修理を受けることができました。港内には、
レイテ沖海戦に参加して被害を受けていた重巡洋艦の
那智と熊野が停泊していました。

 ここでも空襲が相次ぎ、戦死者を出しています。
那智は、11月5日の空襲により撃沈しています。

 このままでは死を待つだけとなるので、11月7日に、
熊野らと隊列を組み、基隆まで帰投することにしました。
このとき、青葉が出せる速度は、最大で5ノットでした。

 出港3時間後に、潜水艦の攻撃で、熊野が脱落し、
青葉は単独で航行することになりました。熊野は、この後
サンタクルーズで修理中に敵機の攻撃を受け、撃沈して
います。

 青葉は、何とか基隆に到着し、速力を12ノットまで回復し、
12月5日に、呉に帰投しました。この時は、修理されずに
係留され、呉の空襲によって、艦尾切断の状態で着底し、
終戦を迎えています。

 青葉は、何度も満身創痍になるようなの活躍をして、呉で
終戦をむかえた艦といえます。

(追記)
 著者の諏訪氏は不運といっていますが、こうして見ると、
3回も沈没しかねない危機に見舞われながら、自力で
呉まで帰還し、修理後は前線に復帰していることになり、
むしろ幸運な艦と言えます。

 艦これでも、重巡洋艦のなかで見ると、飛び抜けて運の値が
高くなっており、幸運とみていることになります。


紹介書籍:重巡「鳥海」奮闘記 武運長久艦の生涯  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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