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重巡洋艦鳥海 愛宕、高雄、摩耶の脱落 [重巡洋艦鳥海]

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 栗田長官が座乗する愛宕は、正面から疾走してくる
6本魚雷を見て、艦長は、「面舵いっぱい」の命令を下し、
敵側に転舵し、内側に回避しようとしました。しかし、舵が
効かないうちに、愛宕は激しく振動し、完全に停止しました。
この時、魚雷が4本命中しました。

 残りの2本は、愛宕の艦尾をすり抜け、後ろにいた高雄に
直撃しました。栗田長官は、巡洋艦は、攻撃力は強いが
防御力が弱いことを熟知しており、即時に旗艦の変更が
必要なことを直感し、駆逐艦を呼ぶように命じました。

 第二水雷戦隊の岸波と朝霜が愛宕に、長波が高雄に
駆けつけました。愛宕は、魚雷命中から20分後に撃沈
しています。

 栗田長官や艦長は岸波に、他の乗員は朝霜に移乗
しました。高雄は沈没はしなかったものの、脱落して
います。

 大和に乗っていた宇垣司令官は、次席の司令として、
指揮を引き継ぎ、艦隊に緊急回頭を命じました。

 10月23日午前6時56分(愛宕に魚雷が命中してから
22分後)、摩耶に魚雷が命中しました。摩耶は、魚雷
対策のためにバジルを追加していましたが、4本も
命中しては、効果はなく、4分で撃沈しています。

 (摩耶は、火薬庫に命中して誘爆したと言われており、
艦尾を高くはね上げ、沈没しました)。

(追記)
 駆逐艦岸波は、夕雲型15番艦で、艦これには現時点では
登録されていません。朝霜は、夕雲型16番艦で、艦これに
登録されています。

 岸波は、この後も、栗田艦隊の一員として行動しています。
朝霜は、脱落した高雄をブルネイまで送り届ける役目を命じられ、
上記の後、栗田艦隊から離れてしまい、レイテ沖海戦には参加
していません。


紹介書籍:重巡「鳥海」奮闘記 武運長久艦の生涯  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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