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重巡洋艦鳥海 全軍突撃せよ [重巡洋艦鳥海]

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 立て続けに艦を失った第四戦隊で、唯一攻撃を
受けなかった鳥海は、第五戦隊で行動することに
なりました。

 栗田長官は、初動でつまづきを見せ、時間のロスを
生じたものの、その後はほぼ計画どおり航行を続けて
いました。

 しかし、栗田長官の指揮下にいた司令部の通信要員は、
栗田長官のいた岸波ではなく朝霜に移乗していました。

 朝霜は、高雄の随伴で戦場を離れてしまったので、
レイテ沖海戦に参加できませんでした。このことは、
少なからず影響したと思われます。

 10月24日、この日、栗田艦隊は、6回の航空攻撃を
受けることになりました。この攻撃で、戦艦武蔵が脱落し、
鳥海が新たに配属となった第五戦隊の旗艦妙高が
脱落しています。第五戦隊は、旗艦を羽黒に移すことに
なりました。

 他にも、大和が、第一砲塔前部、長門が通信施設などに
被害を受けました。矢矧が、至近弾、清霜が直撃弾による
被害を受けました。これらの攻撃により、栗田艦隊は、予定が
大幅に遅れることになりました。

 この頃、豊田連合艦隊司令長官は、これまでの戦況から
判断して、栗田艦隊が進撃を続ければ、海峡到達以前に
全滅することもありえると危惧していました。

 しかし、すべての艦隊は、栗田艦隊がレイテに
突入することを前提に作戦展開しており、
この時点では、作戦続行をする他なく、
「全軍突撃せよ」を命じなければ
なりませんでした。

(追記)
 アメリカ軍の資料では、愛宕と高雄を攻撃した
潜水艦ダーターは、次の攻撃準備中に、珊瑚礁に
乗り上げ座礁していました。

 ダーターのSOSを受けたのは、摩耶を攻撃した
デースでした。そのため、デースは次の攻撃を中止し、
ダーターを救助に向かっています。

 このことが、鳥海にのみ攻撃がいかなかった理由と
いえます。


紹介書籍:重巡「鳥海」奮闘記 武運長久艦の生涯  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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